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臨床福祉専門学校講義感想・質問(2009年10月14日21日)


2009
10.24

臨床福祉専門学校言語聴覚 療法学科で開校されている「聴覚障害学演習」を受講されている学生さんの第5回目の感想や質問を特に学 生さんと共 有したいと思っています。関係者ではない方も興味があれば、これから言語聴覚士、特にオージオロジストになろうとしている学生さんの声を感じてもらえれば と思っています。

※プライバシー保護には気をつけているつもりですが、何かあればすぐに高山までご連絡ください。本人の了承が必要な感想文などについては事前に連絡、了承を得ております。

高山亨太

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早期発見早期支援のメリットとしては早期に聴覚補償を開始できることにより、聴覚活用の可能性が広がると思いました。音というものがあると知れ、音声日本語の獲得に繋がると考えます。しかしデメリットとしては現在の親を支える仕組みが整っていない状況では、むやみに不安を煽るだけという結果になるとも思います。親の意向に耳を傾け、母子の愛着関係を築き上げることを最優先に考えることが大事だと思いました。その上でプロという立場でどのように介入していくのかが問題になると感じます。

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今回の授業で、早期発見、早期支援のメリットやデメリット、課題についてグループで話し合いをし、本人と家族にとってスクリーニングや検査がどのような意味を持つだろうと思いました。

スクリーニングや検査をしたことによって、不安ばかりが募ってしまって、母親が無条件に子供にあやしたりできなくなってしまう場合があるのなら、それは本人のため、家族のにとって意義のあるスクリーニングや検査となるのだろうかと思いました。

だからこそ、早期支援がしっかり整っていることが求められていると思いました。本人にとっても、家族にとってもスクリーニングや検査をして良かった、早くわかって良かったと思うえるような支援や体制がしっかりあると良いと思いました。

また、カウンセリングのグループワークでは、クライエントの母親役をしてみて、不安を抱えている人にとって、カウンセラーの態度一つで不安が和らいだり、より不安が増したりするのがよくわかりました。よりクライエントにとって話しやすい雰囲気、話し方をカウンセラーがすることは重要だと思いました。

そして、カウンセラーとクライエントの信頼関係もそうした雰囲気からも生まれるだろうと思いました。

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本日、印象に残ったテーマは老人性難聴はうつ病のファクターです。

私の祖父は難聴者で、左は子どもの時に病気にかかり聴力を失い、右は老人性難聴が進行しており補聴器を装用してもなかなか。

そんな彼の楽しみは日曜の夕方に「笑点」を見る事だったのですが、最近は聞こえないのが面白くないらしく全く見なくなりました。

祖母もそんな祖父に話しかけてもと、会話が少なくなってます。

何か良い方法はないかと模索中です。指文字頑張って練習します!

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今日はカウンセリングのロールプレイングで、私たちのグループは「態度が悪い」カウンセラー役だったのですが、知っている相手にその演技が難しかったです。患者さん役の人が悲しそうな顔をしていたので胸が痛みました。

きっと実際カウンセリングをする場面で、こちらが親切に接しようと心がけていてもちょっとしたこちらの一言で悲しい気持にさせてしまうことがある、難しいことなのだと思いました。

また、難聴の早期発見、早期療育については、STなどの専門家の心理面のフォローと、正しい情報の提供が大切だということがわかりました。

小児の臨床場面だけでなく、どの領域においても大切なことだと思うので実際に患者さんを前にした時にも心がけていきたいと思います。

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今日の授業で、早期発見のメリット・デメリットについて考えましたが、早期発見をすることで、言語発達への影響を軽減する事に繋がるものの、母親への心理的負担や現状としての受け皿の不十分さを考えると、早期発見以前に法制度を中心とした環境を整えることを優先した方が良いのではと思いました。

また、UターンやLターンについてですが、聴覚障害を持つ人には「コトバを獲得させる事が重要」だと思っていましたが、コトバを身につけただけでも、他者との対話を持たなければ、内言や思考する力が順調に育たないと知り、コトバ以前のコミュニケーションの必要性、コミュニケーションによって人の心は育まれていくのだと感じました。

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今日の授業は、いつも以上におもしろかったです。特に、おもしろかったのは、カウンセリングの練習でした。

質問なのですが、先生は大学院では何の研究をされているのですか?

高山:博士論文のテーマとしては聴覚障害者に関わる専門職の養成の日米比較を中心に研究しています。

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今日は2コマでしたが、それぞれディスカッションがあり、なんだかあっという間でした。

先生の授業ではみんなと話す機会がもともとありますが、クラスのみなさんの考えを聞くこと、自分の考えを伝えることは、ひとりの理解では考えつかないような発見があるので、引き続きディスカッションの機会をお願いしたいという感じです。(今日は欠席者が多くいつもと違うメンバーだったのも新鮮でした)

今日は早期発見のメリットだけでなく、デメリットについても考えました。

他の授業から「早期発見!早いうちに聴覚活用を!」と考えていたので、意外な議題でした。

でも、みなさんと話していて、愛情や愛着を感じる時間もなく、無事に産まれた喜びの中、伝えることは私も必ずしも必要ではないのではと考えました。

人によっては「早く知りたい」と考えるお母さんもいらっしゃるのかもしれませんが…。

ただ、そうであったとしても、何故少し時間をおいてから伝えることになったかを、小児の発育、音を入れたくても補聴器などが装用ができない段階であるなどなど、丁寧にお伝えすることが必要で、私たちは機械的に解剖学的な話だけ理解しても仕事にならないのではと感じました。

今日もありがとうございます。ではまた宜しくお願い致します。

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高山先生だけではなく、聴覚を扱う分野の先生の授業では、授業の中で考えさせられるような事が多いです。

その度に様々な考えがあり、「答えなどない」というような結論にたどりつくのですが、高山先生はそれは一つの答えだと思いますか?

高山:どの援助がいいのかについて答えはないと思います。ただ、現実的に昨今のろう教育や聴覚療法を受けた聴覚障害者が自らのアイデンティティー確立やUターンすること、口話や補聴器を捨て、手話を身につけていくこと、ろうの世界を知らないまま難聴者のしてのプライドが逆に本人にとって精神的に追い詰められてしまったケースなど様々なケースが答えとなって専門家に突きつけられていることも1つの答えになると思っています。

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4限続けての授業、先生は大変お疲れだと思います。今頃一息つかれている頃でしょうか。今日も授業をありがとうございました。

今日印象的だったのは、スクリーニング検査の是非についてです。

日本のように発見後のフォローアップシステムが整っていない中で、むやみにスクリーニング検査が行われリファーとなった際、親と子供との関係に影響が出ることを改めて思い知らされました。今後体制作りをしっかりした上でスクリーニング検査を普及していくようSTも動いていく必要があると感じました。

質問なのですが、生後6ヶ月以内の乳幼児に補聴器を装着することは問題が多く、聴覚からのアプローチが難しいとのことでしたが、そうなるとこの段階では手話によるアプローチをし、装着可能な時期に補聴器に変更するという方法もあるのでしょうか。

コミュニケーションモードの変更は幼児期には混乱がありそうだと思いました。

高山:確かにそのような方法はありますよ。手話によるコミュニケーションから聴覚中心のコミュニケーションに変えていくことや手話によるコミュニケーションを確立させていきながらも聴覚や口話を併用させていくケースもあります。逆に乳幼児だからこそ適用しやすい面もあります。

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本日は、3時間(2講義)続けて授業いただき誠にありがとうございました。

講義を3時間続けられていて、先生の喉が痛そうだったのですが、大丈夫だったでしょうか。

本日の「早期発見・早期支援」の課題において、母子のアタッチメント、情緒的なコミュニケーションが確立し、そのことを前提として支援を進めていく必要性を強く感じました。

また、グループで意見を出し、まとめ、発表し、他の方の意見を伺える時間が多くあり、考え深い時間となりました。他の方の意見を伺うことは大変勉強となります。

今回も心身を使う演習の時間をありがとうございます。

さて、授業のさいごに行われたカウンセリングのロールプレイにおいて

・おこりっぽい

・優しい

・横柄な

それぞれの感情を表に出すセラピスト役について驚きました。

カウンセリングとは、セラピストが様々な視点を持ち合わせながら、患者の細かい変化を観察し、より良い方向を患者主体で一緒に模索していくのものだと思っておりましたので「怒り、優しさ、横柄な感情」を患者に出すセラピスト主体のカウンセリングに大変驚きました。

高山:説明が足らずに誤解させたかもしれません。一番理解して欲しかったのはノンバーバルコミュニケーション(態度や声の抑揚、アイコンタクトなどの非言語的な言動)の1つがきちんとなされていなければ、カウンセリングはできないということを学んで欲しかっただけです。

高山先生の臨床の現場でのカウンセリングについての具体的なお話しを差し支えのない範囲で伺えたらと思いました。では、来週の高山先生の授業も楽しみにしております。

高山:臨床についての話ですが、劣等感を感じたまま本人ではなく家族や学校の先生が勝手に判断して高校から聾学校に転校させてしまったため、精神的にひどくなり、薬物に手を出したろう学生も居ました。また、ゲイであることで、周囲からいじめをうけたりした学生も居ます。アスペルガー症候群と判断されましたが、あくまでも聴覚障害からくるコミュニケーション能力の不足があるだけで、結果的に誤診をうけていたというケースもあります。いろいろです。

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難聴の早期発見に伴った多くの問題について、あらためて考えるきっかけになりました。聴覚障害の告知に限らないと思いますが、「告知」をするときは、家族も含め、目の前にいる一人の人の生活・人格・将来など総合的な視点を持って行わなければならないと感じました。

様々な問題が待ち受けていると思いますが、相談できる場所や、信頼できる人、共感できる仲間がいる事がとても大切であると感じました。日本は、まだまだ制度も実績も伴っていないと聞きます。これからSTが担っていく役割も重大になっていくと思います。その家族と共にあゆんでいく多くの人の中の一人として、その時の家族の支えになれる一人となれるような人格を研いていきたいと思います。

カウンセリングも必要な時は生涯に渡って多くあると思います。何かの時に一人で、また家族だけで抱えこまずに相談できる場所や人がいる事は、とても大きな事だと思います。人との関係が薄れてきたといわれているこの時代の中で、特に大切になってくると思います。

私も精神的に苦しかった時期を何度となく乗り越えてきましたが、そこには、話を聞いてくれたり、何も聞かずに接してくれたりする、ありがたい仲間がたくさんいました。人と運に支えられた人生であることを感じています。

まだ、経験の浅い私には、知識も技術も乏しいですが、専門的な知識と技術とともに人に寄り添える人格を研いていきたいと思いました。

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今回の講義を受けて、日本は、障害がある人またその家族に対しての相談や支援をする機関がほとんどないことをしりました。

私たちが出来ることはなにか、どのような支援があるのか、もっと勉強していきたいと思いました。

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今日もありがとうございました。早期発見早期治療について、改めて考えました。ことばの臨界期があるので、早期発見早期治療は意義があると思います。

しかし、聞こえないと言われた保護者の気持ちをサポートするシステムがないのなら、意味はないと思います。補聴器や訓練を開始する時期から逆算して、だいたい3ケ月検診に伝えるのはどうかと思いました。

また、遺伝子検査本当に必要なのでしょうか?メリットがたくさんあげてありますが、保護者は、遺伝子の説明をされてもっと悲しい思いをするのではないでしょうか?

そのような研究より、難聴であると解った時のガイドラインの確立や、言語を獲得する為のサポートシステムの確立に力をいれていく必要があると感じました。

今日の授業で、怒りっぽいカウンセラーをやりました。その後は、とても嫌な気持ちが残り、そのよう態度をしてしまったクラスの仲間に本当に申し訳ないと思いました。

高山:カウンセリングのロールプレイの時にいやな気持ちにさせてしまったこと申し訳ありません。狙いは、あくまでもノンバーバルコミュニケーションについて理解するということです。当然ですが、遺伝子検査のデメリットもあります。メリットとしては聴覚スクリーニングよりは的確に予後を予見できる可能性があるということでもあります。2つをうまく使い分けることが出来れば良いのではと思います。

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お世話になっております。

今日の授業は皆で考えることが多く楽しかったです。

難聴の発見時期については悩みます。

言語獲得の時期を考えると、一刻も早い方がいいですが、親の心理状態を鑑みると、一概には言えません。

私にはスクリーニング検査が、工場の流れ作業用の機械に思えてなりません。少し不良の疑いがかかると、ふるいから落とし、さらに精密検査していく…。

難聴の発見は早い方がいい。子供も、難聴であった場合、恐らく何故早く聴覚補償を取らなかったと親を責めるでしょう。

しかし、早すぎる対応は、もっと大切な、親子の絆をあの流れ作業の中で落としてしまいそうになります。まず、出来る限り長く親子の純粋な絆を育み、子供が安心して帰ることが出来る場所を作ることが大切だと思います。

そうしなければメンタル面で違う弊害が出てきてしまうのでは、と危惧します。

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2限続けての講義、お疲れさまでした。正直言うと、授業を受けていても疲れました。

聴覚障害に対する制度・体制ができていないことを実感できたと思います。

新生児スクリーニングのフォローもなく、リファー判定することの無意味さ、罪深さを感じます。私も高山先生の意見に同感です。診断結果は、対策に

向けた情報として意味があるものであるべきで、意味もなく、不安だけを提供するのは有害なだけだと思います。家族が覚悟をしなければならないあるいは対策を始めるためのタイミングになるまでは、たとえ分かっていても伝えるべきでないと思います。親の不安だけを起こす情報提供は、インフォームドコンセントに忠実であるようで、医者が患者のことに親身に対応していない傾向で責任逃れだと感じました。

カウンセリングの7つの基本参考になりました。

企画は仲間(同調者)作りが大切ということ、CD-ROM電子辞書を開発してきた時のことを思い出します。正にその通りだと思います。

高山:本当にお疲れ様でした。2限続けるというのは大変ですよね。

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〈今日の授業の感想〉

早期発見のメリット、デメリットについて、デメリットとして自分で一番良い聴覚補償を選択できない、と言う事があげられました。

そこで、そのような小さな子供のうちでは、国連では両親に決定権があるとされている、ということを初めて知りました。今まで、決定権について深く考えた事がなかったので、非常に深く印象に残りました。

日本の、出産後の両親、特に母親へのケア体勢が十分整っていない事はやはり問題だと思いました。今後、母親のケアに携わっていく事が出来るSTになりたいと思いました。

あと、スウェーデンでは手話を言語として認めていると聞き、流石だと思いました。人工内耳が進んでいて、母親にも研修があり、色々な事が日本と全然違うのだと感じました。手話を言語として国が認める事は、今の日本ではないかな、と思いますが、先生は手話を言語として国が認める事について、どうお考えですか。授業では、面白いと思う、という様な事を仰られていましたが、もうちょっと詳しくお伺いしてみたいです。よろしくお願いします。

高山:国が手話を言語として認めるということは、ある意味では教育や福祉などの施策展開がやりやすくなるという面もあるでしょうし、何よりも国民への啓発という観点からも重要かなと思っています。

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聴覚障害の早期発見ということで、発達過程を考えると早期に発見・療育が行える方が望ましいが、現在の支援体制では発見後のケアが不十分で、親の不安が非常に高いということであった。

先生は、厚生省や医師学会は今まで何をやってきたのかと述べたが、確かに早期発見の重要性をある程度わかっているのに、なぜ法整備が進まないのかと感じてしまう。

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本日は講義ありがとうございます。本日の授業では、Uターン・Lターンを初めて知りました。別の授業では、インテグレーションをする先生がいらっしゃり、おまけに結構成功した事例を聞いているので、インテグレーション後に聾学校へ戻ってしまうことはちょっとした衝撃でもあります。

寧ろあんまり成功しないみたいで更に驚きです。普通学校へ進級したろう者が、上手く学校生活を送るには、多少運の要素が絡んでしまうと思います。

インテグレーションするために、今まで見てくれた先生のほか、学校の先生や級友の理解…これらは言えば理解してくれると思います。

そして聞こえないということを受け止め、真摯に付き合ってくれる人との出会いが何より大事だと思いますが、そんな人と出会えるかどうか。それは行ってみなければ分かりませんよね。

もしかしたら居るかもしれないし、居ないかもしれないし。(これは健聴者でも言えることですかね?)

インテグレーションが良いことなのか、悪いことなのかが判断つきません.

個人によって異なるのでしょうか?

高山:判断が付かなくなる。そうですよね。なかなか難しいと思いますが、大事なことは親に正確な情報を伝えていくということが大事なことです。他の講義では、結構成功した事例を出していると思いますが、言葉が悪いかもしれませんが、失敗というか発音が聴者並みにきれいにできなかった例などについて出されたことはありますか?多くの言語聴覚士や医師は成功例を出したくなるものです。数は少ないのに。失敗例が多いのにね。その先生の基準に合わせたら、私も失敗例かもしれません。

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講義ありがとうございました!

早期発見・早期治療に越したことはないと思っていましたし、海外では義務化されている国もあると聞き、日本も早く義務化するべきだと感じていました。

しかし、『新生児聴覚スクリーニング検査の問題点』を読み、そうとも言いきれなのだ感じました。

新生児聴覚スクリーニング検査を義務化、その後、養育者のフォローというような流れに見受けられますが、その流れが逆にならない限り、益々、遠ざかってしまうような感じがします。

子供が生まれてくるのを心待ちにして、やっと生まれたと子供が、『難聴』だと診断されたことで、無条件に子供と接することが出来ないのは、凄く辛いことで、その後の子供の成長にも影響を与えかねません。

新生児1.000人に1人の割合で、高度聴覚障害児が生まれてくるのだから、もっと難聴に対する体制が整ってもいいように感じました。

やはり義務化されている国では、フォロー体制は整っているのでしょうか?

また母親教室などで、聴覚障害の解剖と生理から、リハビリまで、まるで授業のようなことが行われていることを知り驚きました。『正しい』知識を提供できる場所が、増えていけば良いと思います。

高山:そうですね。スクリーニングを義務化している国では、法整備をした上で、しっかりとアフターケアを整備しているところが多いわけです。国が責任を持っていると示しているわけですから。

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今日の授業でやったロールプレイは精神的に辛かったです。

4月以降、聴覚障害について勉強する中で、STは母親の気持ちに配慮し、ひとつひとつの言葉遣いに注意しながら話さなければならないことを学びました。普段の姿勢や考えは言葉にでるので、自分は常に謙虚であるか、考え方や心構えもまちがっていないかなど、経験もなく浅い知識なりに考えるよう心がけるようになりました。

皆もそれぞれに注意深く考えるよう心がけようとしていると思います。今回、私は怒りっぽいSTを演じることで、その考え方も否定してしまいかねないことがとても恐ったです。現実はこの程度ではすまないのでしょう。少なくとも、今日の辛さは忘れないようにしたいと思います。

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今回は、新生児の聴覚スクリーニング検査の問題が印象的です。検査の結果を1か月後に伝えるというやり方には、考えればいろいろ対応のしようがあることを知らされました。実際にお母さん方がどのように知らされているのかを知りたいとも思いました。自分が伝えるならこのように、というイメージが、難しかったからです。カウンセラーの腕が問われると思います。ただでさえ慣れないカウンセリングを“態度を悪く”演じるのは難しかったです。

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こんばんは。時間過ぎています。すみません。

早期発見が大事なのはよくわかりました。

やはり検査の時期と精度が問題で、その後フォローする制度がせめてしっかりあればと思います。高度難聴児が1000人に1人という高い確率で生まれてくる事を考えると、早く最善のやり方を考えなければならないと強く感じます。

出産後すぐに子供が難聴かもしれないと言われたらどんな気持ちか…。

どうせすぐに補聴器や治療ができるわけでもないのに、産院で出産後に調べなくてもいいと思います。

先生がおっしゃったように、1ヵ月後、産院で行う1ヶ月検診で検査したらいいと思います。中には1ヶ月検診に行かない人もいるのでしょうか?大抵の人は行くと思うのですが。ただ時間がかかり過ぎて大変になるという問題がありますね。

検査の結果にショックを受け、どうしていいかわからない母親の支えになれる専門家になりたいです。

たくさん勉強の必要がありますね。

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今日の授業で、日本の新生児聴覚スクリーニングについての問題点がよくわかりました。問題の中でも、都道府県で格差があることと、スクリーニングを行った後の支援が日本では遅れていることの二つが大きいのではないかと思いました。その二点を踏まえ、日本のあるべき理想は諸外国のように、新生児スクリーニング検 査の法制化を整え、スクリーニングにてリファーの診断や難聴児との確定診断が出た時の両親への心のサポートとケアの指針を明文化し、全国で一律のサービスが出来ることではないかと思います。

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今日はありがとうございました。カウンセリングのロールプレイもとても興味深かったのですが、お話の中で惹かれたことは、スウェーデンでの、早期に発見された聴覚障害への対応です。母親研修の義務付け。そして研修の為の休業補償が国によりなされるということは、何が一番大切なことであるかを、国が明確に持っているということでしょう。日本ではまったく(と言っていいと思います)考えていないことを、義務として行っている国があると

いうことを、謙虚に受け止めなくてはいけないと思いました。国の制度を動かしていくのはなかなか大変なことですが、個人でも少しずつ輪を広げていけばいずれ大きな広がりになっていくこともあります。その輪を広げていくのも専門家の役割かと考えています。新生児聴覚スクリーニングの問題も、早期療育をする場が少ないことなども、課題は山積みですが…。

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提出遅れて申し訳ありません。ロールプレイでカウンセリングに関して経験がないと言っても何をしたらわからず周りに頼った節があり、もう少し出来るようにならなくてはと感じました。

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講義、ありがとうございました。

先生のネットよりの資料で、経験談がありましたが、一歳まで無条件に抱き締めていられた期間があったから…不安な気持ちの支えになった。とありました。

正しい情報や心理的なフォローが必要な時にどんな事をしたら良いのか、聴覚障害があるかもしれない不安をどう和らげてお子さんに愛情を向けられるようにするか、新生児スクリーニングって何なんだろう?…十数年だっても変わっていないことを知ると、障害に対する一般の認識の向上の無さに驚くばかりでした。私もその一員だと思うと、恥ずかしく思います。

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本日もありがとうございました。今日はグループワークが多く、とてもおもしろかったです。家族教室については、支援方法や仕組みについては触れてこなかったので今日は具体的な方法を知ることができて勉強になりました。

特に小児の場合、本人の指導に合わせて母親指導・支援が重要になってくると思いますが、その重要性からどう関わっていけば良いのか具体的に考えることが出来ました。

ただ、最近、早期発見・支援ときくとすぐに“小児の難聴”を考えてしまっていて、老人性難聴や中途失聴の早期発見・支援をイメージすることが出来なかったことに、今日気付きました。

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本日もありがとうございました。

「母親支援・家族教室でどんなことを教えるか?」

この内容をグループワークで話し合った結果、遊びを通して自然な親子のコミュニケーションを学ぶというものを発表しました。これを通して、子どもがコミュニケーション方法や社会性を身につけ、さらには聴覚活用や母親のメンタルケアに繋がると考えたからです。

高山先生は発表に対して、「テーマをひとつに絞ったほうが良い。」とおっしゃりました。しかし、子どもとの遊び方を学ぶことで、子どもの発達や母親の精神的なケアも行えると思います。回によって重点を置くものが変わってきても、全てを支援として行うことは可能ではないでしょうか。

テーマは狭いほうが、わかりやすいものであるとは思いますが、母親への支援は断片的なものであってはならない気がします。

老人性難聴については特に気付くのは難しいような気がします。またいろいろ考えていこうと思いました。

高山:今日はご苦労様でした。テーマを絞った方が良いと言うことは、逆に多くの選択肢や機会を増やすと言うことにもつながります。さらに、コミュニケーション方法について学ぶこととメンタルケアは分けて考えてください。心理的な問題はそう簡単には解決できません。

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今日の講義の中のグループワークのテーマに早期発見・早期支援のデメリットを考える課題がありましたが、今までメリットしか言われてこなかったので、考えても中々出てこなくて、あまり結論が出ないまま終わりました。

そして、講義の中で先生が配布してくださった資料の中に親の声が書かれていて、確かに早期発見で障害があることが見つかるのは良いことだけど、その日から障害を持つ親として、どのように育てていかなければならないかという不安も大きいということを知りました。その事を知り、早期発見は果たして良いのかと疑問が残りました。

また、精神的にもきちんとサポートする体制が整っていればよいが、そうじゃなければ安易に告知するものではないと思いました。

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母親教室・家族支援のグループワークの際に、早期発見が子どもの為にはいいのだけれども、知ってしまったがゆえに、今までの親子関係が構築できなくなる、と気づかされました。

私は以前、障害者のボランティアに参加した際に、障害を知っていた為に気を使って障害者に接していましたが、周りの子どもたちは自然と障害者と接していました。この、自然に振舞うことが障害者にとって一番にいいことだと感じました。

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今日の授業では家族教室についてグループワークを行いました。

今まで考えたことのないトピックだったのですが、確かに母親に対して情報提供をしたり、メンタルケアをすることは児の成長を考えるに際して必須であると思いました。家族教室というのは、児の療育をテーマに様々な内容を扱うのだろうと思います。母親に提示する内容(たとえば教室の案内パンフレット)ではどのようなことをうたい文句にしているのでしょうか。(機会を見つけて調べてみたいと思います)指文字も引き続き学んでいこうと思います。

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早期発見・早期支援の重要性と言われると、どうしても言語獲得における臨界期は直ぐに頭に浮かび、どうしても聴覚活用の面からしか考えられなかったのですが、老人性難聴に対する可逆的早期対応の重要性に対しては目からウロコでした。

また、早期発見・早期支援に関する現状について、日本における新生児聴覚スクリーニング検査の普及、また、地域連携支援システムなどの遅れを知り、言語聴覚士が必要とされている分野はもっと広げる必要性があると感じました。

リハビリテーションだけでなく、家族教室での両親へのサポートの大切さも感じることが出来ました。

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今日のグループワークで、『早期発見・早期支援』について話し合う際に、デメリットがあるのだということに初めて気付きました。授業で習った時も、とにかく『早期発見』が大切だという内容ばかりだったので、『早期』=メリットと考えていました。でもそれは、ある一面からの見方であって、また別の面から見てみると、デメリットにもなりうるということを知り、自分の中に固定観念が出来上がってしまっていたのだと思いました。また、『早期発見』=小児と思ってしまっていたことも一つの固定観念だと思いました。知らず知らずのうちに、自分の中で決め付けてしまっていることに気付き、ハッとしまし。臨床家を目指す者として、多方向からものを見て、色んな可能性を考えなければならないのだということを改めて考えました。グループワークをすることで、自分では思いつかないような色んな意見を聞くことができるので、とても勉強になります。

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聴覚スクリーニング検査は、まだ実地数が少なく早期発見されない場合や問題点があり、全て検査では判断出来ないのだとわかりました。

また、検査結果を伝えると共に情報提供やメンタル面でのケアも必要であり、知識だけではなくより良い関係を形成していく事が大切だと思いました。

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本日の話し合いで、「家族教室のプログラム」を考えました。

話し合いを通じて、子の成長する環境を調えるために、家族教室には夫婦揃って参加できることが重要だと感じました。

現在は、多くの夫婦が核家族です。夫婦は、仕事と子育てのように、それぞれ役割を持って生計をたてています。そうした生活によって、父親と母親では子どもと関わる頻度と場面に違いが出てきます。

夫婦がそれぞれ違う場面を見ていても、夫婦そろってプログラムに参加することで、お互いに共通の基盤にたって子どもの話をすることができます。

もし夫婦の共通の土台がなければ、子育てについて、見解がかみ合わないことが多くなるように思います。

家族教室は、夫婦が子の成長について話し合うことで、子の成育環境を整えるとともに、夫婦の子育ての楽しみの機会を保障していると考えました。

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今回、聴覚障害の早期発見・支援の「デメリット」について考えました。

子供にとっては早く発見することで、様々なメリットばかりがあると考えていましたが、デメリットもあるのだと学びました。

早期発見の必要性もあると思いますが、発見後に母親にいつ告知するかということについては精神的に大きな影響を与えるデリケートな問題であると思いました。心理面のサポートが制度として整備されていく必要があると感じました。

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本日の授業で、早期発見のメリットデメリット問題点を考えていたとき、私は姉の出産の時のことを思い出していました。

姉の出産後、病室に行くと聴覚検査をしますか?というような内容の紙があり、姉に「受けるの?」と聞くと、「お金かかるし、やらないかも」との返事だったのを覚えています。

あまりの意識の低さに驚き、きちんと検査を受けるように話をしました。(私も今の学校で勉強していなかったら、同じように意識は低かったと思いますが。)

姉が病院でどこまで説明されていたのかはわかりませんが、妊婦にもっと聴覚検査の重要性を説いていくことも大切だと思いました。

聴覚発達の表も我が家ではトイレに貼ってあります。しかし、私は発達について勉強すればするほど、少しでも発達が遅かったり、表に書いてあることが出来ないと不安になってしまいます。逆に姉は、(子どもが順調に育っているという理由もあるのでしょうが)育児書を読んだり、トイレの聴覚発達の表もほとんど見ません。

でも、そのほうがノビノビと子育てが出来ていいのかもしれません。

何か怪しい点はないか、と駄目なところばかりに目が行くより、(順調に育っている)今は赤ちゃんが出来たことに喜び、アタッチメントを形成していくほうが大切なのかもしれません。

いざというときに困らないように情報入手先(手段)をしっておくのは大切ですが、過剰にかまえているのもよくないのかもしれません。

しかし、せっかくSTの勉強をしているので私の周囲で(これから結婚ラッシュも来ますし)出産した友人に情報提供はしていきたいと思いました。

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早期発見・早期支援の重要性を再確認しました。日本での新生児聴覚スクリーニングの普及も地域差があり、早急に足並みを揃える必要があると思いました。首都圏が以外にも低い割合には以外と驚きました。

アメリカの現状から1-3-6方式で6ヶ月までに支援の開始は、保護者はもちろんのこと、子供へはどのような形で支援されるのでしょうか。日本では1歳6ヶ月で注意が必要とされるなかで言語発達の観点から、誕生時に発見・対応された難聴時では3歳までに約500語を獲得するとされています。実際はどのような支援がなされているのでしょうか。

早期の支援とカウンセリングのなかで、保護者の不安を拭うことは本当に大切なことだと思います。育児放棄にもつながる可能性も考えられますし、保護者の気持ちの持ち方も変わると思います。本日の講義から、傾聴の大切さを学びました。

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今日もありがとうございました!今日は初めての2コマ連続の授業でしたが、あっという間に時間が過ぎていました。

以前他の授業で「早期発見早期支援」のことを学びましたが、今日は新しい観点から学ぶことができ、大変勉強になりました。以下、今日の講義を受け考えたことです。

①早期発見の必要性

ついつい「早期発見」=聴覚障害「児」という公式が自分の頭の中にあったので、今後は聴覚障害児の他にも中途聴覚障害者や老人性難聴も含めて考えるようにします。

②生後6ヶ月までのフォローの仕方

難聴が発見されるとまず聴覚活用について目がいきがちです。しかし、高山先生がおっしゃった「6ヶ月では技術的および肉体的な問題があるため、聴こえだけに焦点を合わせるのではなく、他のことにも目を向ける必要がある。」という視点は、非常に大切です。保護者のみならず、言語聴覚士も聴覚からのアプローチ一辺倒になる危険性があります。やはりプロとして聴覚活用以外にも視野を広げ、対象者を総合的に支援する姿勢を身につけていきたいです。

③母親の心理的支援の重要性

現在は母親の心理的支援の制度が整っておらず、残念です。プリントにもありましたが、そのような状況で保護者に障害の告知だけを行うことは、かえって不安にさせたり悲観させてしまい、我が子のことがかわいくなくなってしまう負の連鎖が起こります。

以前、以下のような話を聞いたことを思い出しました。

子どもに障害があると生まれてすぐにわかった時に、ショックでしばらく施設に預けていた母親がいたそうです。後に「あの子は自分達の子どもだ。」と思えるようになり、しばらくしてやっとかわいく思えてきたそうです。このケースも心理的支援があれば、施設に預けなくて済んだかもしれません。言語聴覚士として、負の連鎖を断ち切るように心理的支援も意識して仕事をしていきたいと思います。

④スウェーデンおよびアメリカの支援体制について

今日の授業を聞いて、スウェーデンとアメリカの支援体制の素晴らしいと思いました。本来なら当たり前に整備されていなくてはならない支援体制ですが、日本の現状を知るにつけどうしても「素晴らしい」という感想になってしまうのが、残念です。日本でも早期に法制度化が進むことを望みます。ただ望むだけでなく、専門家がまず声をあげていかないといけません。養成校在学中に、貪欲に様々なことを学びたいと思います。

来週もよろしくお願いいたします!

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今日の授業の中で、一番印象に残ったことは、「早期発見・早期支援」についてのグループワークです。「早期発見・早期支援」を促進させていくことは、言語聴覚士として大きな役割なので、そのメリットを押さえることは、とても大切な事だと思います。そして、何故、それが必要なのかという問いに対して、明確な返事ができるように準備しておくことも、同時に大切な作業だと思います。そうでなくては、子どもの難聴に不安や悩みを抱えた親御さんを、納得させることはできません。

ただ、「早期発見・早期支援」のメリットだけを理解するだけでいいのでしょうか。私は、メリットの裏に隠れているデメリットや課題にも、注目しておくべきだと思います。相談に来た親御さん全てが、そのメリットを受け入れられるとは言えません。受け入れられない原因を突き止めるのに、デメリットや今後の課題がヒントになってくるのではないかと感じました。より良いカウンセリングの実現のため、長所と短所を十分に理解していくことが重要ではないでしょうか。

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今日は、グループワークを通じて自発的に考える機会を持てたように思います。

早期発見・早期支援のメリットやデメリット、現状・課題など、多くの意見が出て感心しました。

早期発見について、以前に他の先生が、「(早期に告知されることによって)母親が子どもと、いわゆる『普通の子』として接せられる期間がなくなってしまう。出生や育児の喜びを素直に持てなくなることもある」と言われていたことを思い出しました。

しかしながら、本人にとっての早期の障害発見と療育の開始は非常に意義が大きいので、STとして、家族のメンタルケアとのバランスを大切に、なるべく双方を重視した支援をしてきたいと思います。

ちなみに先述の先生のことばを両親に伝えると、母は「(早期に告知されることによって)ショックを受ける気持ちは理解できる」、父は「事実は同じだから早く知ったほうが良い」とのことでした。

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さて、本日の授業の感想ですが、人工内耳適応年齢の差にも現れているように、聴覚障害児を持つ母親に対するケアは欧米と比較すると日本は遅れています。さらには、カウンセリングの質という観点でも、教育レベルの差があると感じられました。

私の母親は、失語症を抱えております。しかし、退院時に手厚いケアや支援、情報提供があったとは、今、学生の身としてなお、十分でなかったといっても過言ではありません。

言語聴覚士としてできることは、資格やスタッフの枠を超えたチームカウンセリングが必要であると感じました。 次回の授業も楽しみにしております。

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今日の授業テーマ:障害の早期発見については、聴覚活用の面から早く発見することのメリットと同時にその後を支えるフォロー体制の充実が大切で、課題にどう対処していくかに重要性を感じます。本人はもちろん家族に対してしっかり向き合うことが必要だと感じました。

また、教育の方法について、ろう学校と普通学校と選択は、Uターン/Lターンの課題に対してどう対応したらよいのかと深く考えさせられました。

ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

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スクリーニング検査において、『検査の問題点』のスライドに、

「親の同意を得てないことがある。」と、ありましたが自分は得ないほうがいいと思いました。

それは、新生児スクリーニングの結果を、早期に親に告げることによって、「基本的な母子愛着関係の形成に影響が懸念される」と思うからです。

例えば、国がスクリーニングを義務化するのならば、同意は必要なくなると思います。同意を求めなければ、親に説明する義務もなくなるわけです。検査後に、親に結果を求められても答えなくても良くなるわけです。説明責任があるのは国と言う訳です。現状で告知の話は難しいのではないでしょうか?

高山:なるほど、おもしろい意見をありがとう。ただ、専門職としては必ず同意を得てください。それが母親のエンパワーメントにつながるものと思います。適切な説明によって同意を得て、また、いつ頃、告知した方が良いのかそこまで議論してみてください。

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私は聴覚障害をもつお母さんと以前何回かお会いしてお話しを聞く機会があったのですが、やはり最初告知されたときはなかなか受け入れられず、自分の子供は耳が聞こえと、受容することは難しかったと皆さん言っていました。障害をもつお子さんにとって母親(養育者)の考え・価値観・信念・哲学というものは、子供自身が自身の障害をどう捉えるかという障害観にも通じてくると思いますし、聴覚活用についても母親は初めの選択肢(人工内耳or補聴器or手話or聴覚口話法)を子供に変わって選択する重要な役割を担っているので、その母親を支援する体制が整って、最後まで教育していける環境(アフターフォロー)が整っていればとてもいいと思います。

その母親と直に接することができるSTの責任は重いと思います。今日は2時間ありがとうございした悊

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本日は二コマ連続の講義、お疲れ様でした。

本日の講義のタイトルは「早期発見早期支援」でしたが、その重要性だけでなく、問題点の方にも気づかされることがあり、わたしにはとても有意義でした。小児の早期発見の重要性と整備が遅れている現状については他の講義でも取り上げられていて、知識としてはありましたが、新生児聴覚スクリーニングが米国並みに普及しているのは長野、岡山、長崎くらいで、東京都でもさほどではないことは意外でした。また、早期発見という観点で、指摘されるまで老人性難聴のことに思いがいたりませんでした。前期の内藤先生の講義で、特に老人性難聴の当事者の方の多くが「聞こえるふり」をするといわれていたことを後で思い出しました。「聞こえないならなぜわかるまで聞き返さないのか」という考えは難聴者の方のなかにもあるようです。が、音声は瞬間で消え去っていくものでもあり、その場の雰囲気を壊したくないというのも人情だと思うので、たとえ必要な情報でも前述の考え方は時と場合によると私は考えます。具体性がないとなかなか議論しにくいですが、高山先生はどう思われますか。

高山:障害を発見することと、どのようにコミュニケーションを図っていくのかは別に考えてください。わかったふりをすることが心理的にどのように影響をもたらすのか突き詰めてみてください。

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高山先生、お疲れ様です

今日もあまりお顔の色はすぐれませんでした!ちゃんと睡眠、栄養はとっていらっしゃいますか?

私も相変わらず、朝から満員電車に押しつぶされての通学で、教室にもう先生がおいでのことなど目にも入らないほどに、「ああやっとたどりついた!」という安堵で、ヘロヘロになって、「おはよー」といつものように教室の扉をあけると、まるで家族のような高山先生の声、「おはようございます」

嬉しかったです

今日うかがいました

先生がほとんど、聴覚を使われておられないこと読話で、私たちの話を聴いて下さっていること何故こういうことをお聞きしたかというと先生がお疲れの時には特に発話が難しそうだということを最近感じているからです

さっきお話した「優香さん」が今も発話の歪みをお姉さんやお母さんから厳しくチェックされて直すのだということを聞いて元国語の教師として、私の言葉との交流で、高山先生になにかお伝えできることがあるかと思ったからです

でも、ふとこうも思いました

もしも、先生があの優香さんのように流暢に話されたなら、たぶん、びっしりカリキュラムと試験に追われている私たちはすやすやと先生の声を子守唄に眠りこんでしまうに違いないとも!

おでこのしわまでチェックされる先生の視覚能力と全身で語られる授業だからこそ、3時間もの授業を寝ないで”楽しませて”いただけるのだと!

あらためて、先生の私たちのために消費してくださるエネルギーの大きさを想い、大切な時間を過ごさせてもらっているのだと感じました

自分が生きることを一時一時をなにかのかたちで、全身で目の前の人に伝えて行けたら素晴らしいことですし、大変なこと、疲れることではあるけれど

きっと一番有効な「伝えるということ」の手段だと思います

今日の授業の心に残ったことは朝と、授業後の先生との素敵な会話と、

コミニュケーションは、言葉だけでするものではなく、全身の「つたえようとする意思」のようなさまざまな手段があるのだということ

たぶん、STとして一番大切な資質、本質的な能力の部分のことを教えてくださっているのですね

カウンターに並ぶ素敵な女性によろしく!ふーむ!

ありがとうございました失礼の段、お許しください!!!

あ、肝心なこと!私の住む千葉県の船橋方面の聴覚障害者を支える活動の情報、あれこれ、ネットでありました

来週後期試験が2教科あるので、ぼちぼち頑張ります

高山:ありがとうございます。疲れているときに発音がしにくいというのは自分でも気付いています。そのように言って頂けることはうれしいことですし、素直な意見をいつでもください。

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2限続けての講義、お疲れ様でした。

<感想>

家族教室でSTは何をできるか、ということについて考える機会を得られたことは、大変勉強になりました。

また、難聴児の療育指導の一環として親の精神的サポートが大切で、しかし実際には精神的サポートに手が回っていない現状があるということを学んで、カウンセラーとの連携をとる必要性を理解することができました。

先生が「15年前と(子供が難聴だと知った母親のサポート体制が)今も変わっていない」と、くやしそうにおっしゃっていたことが印象的でした。プリントの母親の意見や先生のような声がたくさん上がっていないわけではないと思うのですが、どういうわけか行政にはまだ反映されていないのですね。

行政の利害関係の難しいことは私にはわかりませんが、私も声の一つになりたいと共感いたしました。

今日の授業で最も驚いた点は、『ろう学校における心理サポート体制』のところで、ソーシャルワーカー事業がろう学校に適用されていない、ということです。

一口に聴覚障害者のニーズと言っても、それぞれ得意なコミュニケーション方法や障害観が異なることなどを考慮するとソーシャルワーカーの仕事の安定して高い質を保ちニーズに応えていくのは難しいことは理解できますし、それゆえ法制化が難しいことも想像できます。

だから、法制化を待つよりも、事実としてソーシャルワーカーとの連携をしていることが大切なのだとも思いました。同時に、STも法律的にどうかは別として(もちろん法に触れない範囲で)どん欲に様々な分野の人と連携をとって既成事実たくさんつくっていくことが大事だと思いました。

高山:他にも教育の現場、特に特別支援教育の現場が教師以外の専門家に対して閉鎖的というのも理由の1つに挙げられるのではないでしょうか。

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今日の講義では、難聴の早期発見早期支援について学ぶことができた。

グループワークでは、そのメリット、デメリット、課題について話し合った。

私たちのグループは、現状・課題・問題点について話し合った。

この問題点・課題についてまとめる前に、デメリットを考えなければならなかったのだが、これまでの講義で、メリットしか習わなかった私たちにとっては新たな視点に気づくことができた。

スクリーニングを受けることは、親子関係に影響を与えたり、早期発見をしても迅速な対処がとれないこと、地域格差等・・・。

私たちSTの卵は、この現状の中で何ができるか、どうようにフォローしていくかを考えることで専門職の具体的な役割りが見えてきたように思えた。

家族支援につていは、「コミュニケーション」の本質について大切なことを学んだ。

つい音声言語にばかり気をとられ、集中的に言語を教えストレスを与えることは、親子関係やその子供の精神的な負担に繋がる。表情・ジェスチャー・視線などを使用して、自分の感情を表現していくことも、コミュニケーションの中の重要なものの一つである。

また、直接的に音声言語を指導していくのではなく、遊びや生活の中から、子供の興味・関心を引き出し言葉を教えていくことが、子供の学習意欲に繋がると感じた。

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地域による生活のしやすさというものは存在するのでしょうか。以前(15年前の大学生の頃)、視覚障害の方との集会で私が聞いたところ、雪国のような場所は過ごしにくいと言う事をおっしゃっていました。そういわれれば、自分の故郷も人に優しいところではないのかもしれません。どうしても、冬という寒さや雪の季節があるのでユニバーサルデザインやノーマライゼーションを取り入れた街づくりというものは難しいかもしれません。

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先日田中美郷先生の名前が冠されている『ノーサイドクリニック』を見学させて頂きました。

高山先生はじめ諸先生がたの講義で聞いた話が随所に出てきて大変有意義な1日でした。

授業中でも申し上げましたが、遠方では三重県からの患者さんがいるとか!紀伊半島を北上して名古屋から新幹線、どれほど苦労しなくちゃいけないのか、経済的負担もサービスが身近で受けられない疎外感も相当な事と思われます。

仙台からは普通に通ってくるとか。東北最大の都市でもコレですか!

離島のかたは来て頂くのもこちらから行くのも困難なので、その地方の補聴器屋さんも巻き込んで、電話でやりとりしながら調整して試して、また調整して試して…なのだそうです。

難聴発見の場面も親御さんの意識も様々ですね。

イヤーモールドの装飾のコトばかり気にしてる方がいました。借りるときに難聴や補聴器の何たるかを教わっているだろうに、レンタル補聴器は付けっぱなしといった感じでした。

大事なのはどっちなんだよ…と若干引いてしまったのですが、先日のエイリアンの話ではないですが、聴者は聞こえない世界を理解するのが難しい…ということの一例だな、と思いました。

妊娠中からの両親の学習が大切だ、と一瞬思いましたが、病気や障害は聴覚系だけじゃないしどの範囲まで学べるのか、また不安を更に換気させるようなことをして果たして良いのだろうか…?

ならば中学・高校の保健体育の授業の中ではどうだろう。

…結婚→妊娠まで(人によっては“妊娠→結婚”)約10年、…間違いなく覚えてないですね。

悩みは尽きませんねぇ…

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今日は6回目の授業をありがとうございました。

今日印象に残ったのは、聴覚障害者支援のための日本の制度の遅れについてです。技術的な問題が進歩し可能性としてはよりよい道が開かれていても、政治的に選択されなければ何にもならないし、むしろ後退していくことがあるのだと知り無力感を感じました。

けれども、考えてみれば私もこの学校にくるまで聴覚障害者に関して何も知らないに近かったのですから、偉そうなことは言えないとも思いました。

やはり専門家の一員として、聴覚障害者の立場に寄りそって社会に対して発言していくこともSTの責任の一つだと感じました。

また、聴覚障害者や家族に対して、心理的援助が十分になされていないことが問題だと思いました。

日本はこの件に限らず、何につけても心理的な援助が不足しているように思えます。世の中が変化し、親族や近所や寺の住職さんなどなどでみんなして問題解決してくれた時代ではないし、昔にはなかった現代的なストレスもたくさんあるのですから、日本全国すみずみまで、心理的援助を必要とする人に適切にカウンセリングがなされるべきだと強く感じました。

今日も貴重なお話をありがとうございました。

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臨床福祉専門学校講義備忘録(2009年10月14日21日)


2009
10.24

臨床福祉専門学校「聴覚障害学演習I」受講生以外の関係のない方、興味のない方は、このページをスルーして頂いて結構です。申し訳ありません。

今回は、14日がBクラス、21日Aクラス、それぞれ2限連続での講義でした。2限も同じ講義が続くと大変ですよね。ご苦労様です。来週はお休みですので、ゆっくりレポートに取り組んでくださいね。

高山亨太

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今週の講義の目標

・早期発見・早期支援の重要性と意義・課題について考察する

・カウンセリングの重要性について考察する

・家族教室の重要性について考察する

早期発見・早期支援について

よく誤解されがちなのですが、早期発見早期支援は聴覚障害児やその家族だけではないのです。老人性難聴や中途失聴者に対する早期発見創始支援も重要なテーマであることを忘れないでください。なお、早期発見のメリットはあるのですが、デメリットや限界もあることを知っておいてください。それを一般社会に伝えることも重要な役割です。

家族教室について

家族教室などを計画することは重要なことです。病院にはソーシャルワーカーがいるでしょうし、地域に聾学校があったり、ろう・難聴者の当事者団体もあると思いますので、それら団体と連携をしながら家族教室などを計画・実施することが大切です。そのときには情報提供にとどまるのか、学習的内容になるのか目的をはっきりさせることが重要です。

カウンセリングについて

カウンセリングは高度な技術です。言語聴覚士が担う仕事ではありませんし、むしろ聴覚障害について知識のあるカウンセラーやソーシャルワーカーと連携を組むことが重要です。しかし、カウンセリングの技術を言語聴覚士としてのコミュニケーション技術に転用させることは可能ですので、バイスティックの7原則などについては覚えておいてくださいね。

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臨床福祉専門学校講義感想・質問(2009年10月7日)


2009
10.13

臨床福祉専門学校言語聴覚 療法学科で開校されている「聴覚障害学演習」を受講されている学生さんの第5回目の感想や質問を特に学 生さんと共 有したいと思っています。関係者ではない方も興味があれば、これから言語聴覚士、特にオージオロジストになろうとしている学生さんの声を感じてもらえれば と思っています。

※プライバシー保護には気をつけているつもりですが、何かあればすぐに高山までご連絡ください。本人の了承が必要な感想文などについては事前に連絡、了承を得ております。

高山亨太

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今日もありがとうございました。
一番印象に残ったのは、障害を受容するまでの過程、受容してからも様々迷いがあること、社会的な受容という面では周囲の人のコミュニケーション・精神的な変化が必要なことなど、今後、ろう者と関わる上でバックグラウンドを意識して接していきたいと思いました。勉強になりました。
レポート自分なりにがんばります。

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障害は本人の受容が最も重要だと思っていたが、家族やその周りの受容も重要だということを知った。
認識に向けた支援は個々によって違うのでアプローチする前に状況を把握することが重要だと思った。
ポイント
障害受容・・・あるがままを受け止めること、認めること、またその過程
障害認識・・・現在の状況を適切に理解・認識すること

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今日印象的だったのは、障害受容ということです。
一回受け止めたからといってそれがずっと同じように続くわけではなく、常に心が揺れているという言葉が響きました。
私達STは心理的な側面でもサポートしていくことが大切だと改めて感じました。

前回の範囲になってしまうのですが、コミュニケーションと言語発達を分けて考えるというのが少し分かりづらいのでもう一度具体的に教えていただけないでしょうか。どうぞ宜しくお願いします。

高山:コミュニケーションはあくまでも伝達手段だと捉えてください。言語は思考や感情を司る基本的な能力だといえばわかるでしょうか。つまり、会話の手段としてはその人に合う方法でかまわないのですが、手話や発音がいくらきれいでも言葉の力がなければ日本語本来のきれいな言い回しなどができないということでもあります。

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本日も講義を頂き、誠にありがとうございました。
「受容」という深く難しいテーマに考え込みました。
人は、その人その人の中でいろいろな「生きづらさ」を感じながら誰もが生きる中で「受容」という問題を日々突きつけられていると思います。
私は「受容」という言葉を使える時間をすごした事がありませんがその言葉についてはよく考えます。
今後も考え続けたいと思います。
そして、先生がお話されていたご友人の夫婦のお話が印象的でした。
難聴のご夫婦から、聴者のお子さんが生まれた時の戸惑い、どうやって育てるかというお話しが心に残りました。
先生が授業の中でよくおっしゃる「見方を変えると・・・」という言葉がポイントとなった時間でした。
本日もありがとうございました。

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死の受容よりもむしろ障害の受容の方が難しいと思いました。障害は、ずっと付き合っていくことで思い悩むことが多いように感じます。
また、先天性と後天性、それぞれ受容の仕方や受け取り方が大きく違うと感じました。先天性の場合、本人よりもむしろ親の受容が大きいのではないかと友人と話しました。成長とともに本人も障害と向き合っていくと思いますが、その時の親の対応にも影響されるのではないでしょうか。
「聞こえないことを受け止めることがない。何を持って受け止めたといえるのか難しい。」という言葉には、障害と共に生きる先生の本音が聞けたようでした。そして、受容とは、聞こえる人たちが障害者に押し付けている考えではないかとも感じられました。
私が、これからかかわるであろう人たちの多くは後天性の人だと思います。私自信が経験したことの無い状況を患者さんに受容してもらう為、私はどんな働きかけをしたらよいでしょうか。

高山:どうしたらいいでしょうね。専門家としての倫理観に照らし合わせながら考えていってください。そんな簡単に答えはでないものです。

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障害受容に関して、当事者のみではなく家族全体の問題であるということを改めて考えました。
私は、今の時点で自身が重度の障害を持ったとして、それを受け入れることができるかどうかは正直わかりません。たとえ時間を掛けたとしても…。それは、私の家族も同様だと思います。
また、私の家族が障害を持った場合に、私はどのように感じ、どのように対応するのか…。
「障害の受容」を知ること。それはSTとして、とても大切なことだと思います。
当事者の方のみではなくご家族やご両親と接する機会も多く、その中には受容しきれていない人もいるかもしれません。
自分の子どもが障害を持って生まれてきたと知ったとき、また、事故や疾患で障害を持ったとき…。混乱して当然だと思います。
STの仕事には検査や訓練だけではなく、そのような場合のフォローも含まれるのではないでしょうか。そのためにも、多くのことを学んでいきたいと思います。

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今日の、授業を受けて、青春期のところで、自分の気持ちを言葉で伝えられない為にリストカットなどに注意とありますが、他にどんな自傷行為があるのでしょうか?

高山:自傷行為としては、様々ですが薬物依存、性行為依存、非行など様々です。他傷行為もありますし。

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本日の授業、ありがとうございました。
今日の授業で9歳の壁に質問があります。
足し算、引き算までは順調に習得できても、掛け算、割り算になると習得が難しくなる、計算や学習言語の獲得が難しい、というお話でしでした。
私は、これは難聴者に限ったことではないと思います。聴者の私は、掛け算、割り算で非常に苦労した記憶があります。
9歳の壁は難聴者に限ったことでなく、聴者も含めた学童期の問題のような気がします。掛け算で苦労する子どもは沢山います。難聴者はイメージがしにくいから、壁があるとお話していましたが、掛け算で苦労する子どもは皆、イメージ出来ないから苦労するのだと思います。
なぜ、先生は難聴者の問題と捉えるのでしょうか?難聴者ならではの不利?な点がいまいち理解出来ませんでした。
また、他の先生の授業で、難聴者の幼児とその家族のビデオを見ました。その中では、難聴者の子どもと母親が家庭で熱心に遊びを混ぜながら勉強をしていました。先生は家は暖かく落ち着ける場所としていましたが、何歳ぐらいまで家庭の教育が必要で、何歳からは家庭での訓練は控えたほうがいいのでしょうか?
宜しくお願いします。

高山:ろう教育の現場に行ったことがありますか?多くのろう者の方々が日本語が苦手で苦しんでいる様子に触れたことがありますか。計算の問題は多くのろう者の方々はクリアできると思いますが、特に日本語の読み書きはなかなか9歳の壁となっています。この言葉が出てきてから60年近くたっています。ろう教育の永遠のテーマでもあるので、聴者が感じる9歳の壁とろう者が感じる9歳の壁は一緒に出来ないと思います。きっとイメージが出来ないのだと思いますので、ろう教育関連の書籍を読んだり、ろう者と交流してみたりする中で考えてみてください。また、家庭内でどこまで訓練をした方が良いのかというのはそれぞれの家庭の環境の違いもあるでしょうし、コミュニケーションのモードによっても違ってくると思いますので、そう簡単に基準付けすることはできません。

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障害の受容と認識。
当事者からすれば、とても複雑な問題であると同時に、障害を認識は出来ても、受容するということはすべての人ができることではないのではと考えた。
病気になってはじめて、病気の人の苦しみを実感できる。よくそんなことを耳にするが、ほんとにその通りだと思う。
受容することはいいことなのでしょうか? なんか難しい言葉、考え方だなと感じた。

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今日、先生が授業内で『音が聞こえないことで不便なことはありますか?、と聞かれることがあるが……』と話していましたが、正直とても難しい問題だと思いました。
というのは、私自身その質問は今でも聞いてみたいし知りたいことだからです。目が見えない、という体験はできても、音が聞こえない、という体験は出来ません。だからこそ知りたくなるのだと思います。
でも同じように耳が聞こえないことで、音が聞こえるってどういうものなのか…絶対知りたくなるのだとも思います。
でももし、難聴の人に耳が聞こえるってどういう感じですか?と聞かれたら…すごく悩んで考えてしまうと思います。
耳が聞こえるのが当たり前。
耳が聞こえないのが当たり前。
本人にとっては当たり前のことでも、自分にとって経験したことのないことだと知りたいと思ってしまう。
そういった意識がもしかすると、障害を生み出してしまうのかも知れないなと思いました。

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今日授業ありがとうございます。
今日の障害受容と障害認識の違いは難しいテーマだと思いました。確かに認識はあるかもしれないけど受容はできているかはわからない。
先生が言っていた受容は出来ないと思うという意見を私もそうなんだろうなと思いました。聞こえなくていいや、と思う人はいないと思うし、聞こえた方がいいと思う。と障害者の方は思うと私は考えるからです。
ちなみに、先生は今日自宅で親は厳しかったと仰っていましたが具体的にどんな時に感じるのですか。どうして欲しかったですか。

高山:そこまで親は厳しくありませんでしたが、聾学校に言われて家でも言葉を覚えさせるように、発音を正しくできるようにと指導されていたのだろうと思っています。今思えば、親もかわいそうだったのかもしれません。何も分からず、専門家の言う通りにしなければという錯覚に陥っていたのでしょう。私としては、普通に育児をしてほしかったと思っています。今でこそ、感謝はしていますが。

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本日の授業もありがとうございました。

今日の授業は聴覚障害を家族単位で考えるきっかけになりました。
特に印象深かった点は、両親どちらかにろう者がいる場合、両親ともに聴者である場合の聴覚障害児にあたえる影響についてでした。
私は、人間誰しも自分の一部に“社会的マイノリティ”になるような部分を持っていると思っています。これまで出会った、生き方に影響を与えてくれる人物をあえてまとめるならば、自分と同じような個人内“社会的マイノリティ”な部分を持つ人で、その部分について恨むことなく強かに生きている人が多かったです。
それはつまり、私にとって理想のロールモデルで、生きる衝動の源です。
なので、理想のロールモデルが身近にひとりでも見出せるか、ということは心理的発達上(または精神衛生上)大変重要な環境因子だと共感できます。
けれども、(私個人の場合の話で、論が甘くて恐縮ですが)その人たちはみんな友人や先生であって、親ではありません。
親ではないから、(ウチソトの)外の人だからこそ、ロールモデルとして説得力があったのだと思います。
さらに、理想のロールモデルを見出すことはそもそも簡単なことではないのだから、両親にろう者がいるかどうかは、必ずしも理想のロールモデル不足とそれに起因する否定的心理発達につながるとは限らないと感じました。
しかしやはり、レジュメで触れられていた「多くの聴覚障害者はもっとも影響を与えた人物として母親を挙げた」ということがあるために、両親がロールモデルとなりうるか、ということが心理発達に大きな影響を与えると考えるべきなのでしょうか?まとまらない感想ですみません。

高山:それがきっと正しいことなのかわかりませんが、一般的に考えたら母親離れができていないと思うでしょうし、どのように考えるかは本人次第です。あくまでも結果論ですが、それだけ支援の環境が不足しているのが日本の現状でしょう。

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今日も、また新しい視点を与えてもらった授業でした。障害の受容の段階説については、そういう状態の変遷があるのだということを知っておかなければと思いました。

価値転換説の内容は、とても精神的に強い考え方だと、私の中では小さな衝撃でした。そして、段階的受容よりも、自分の感覚として、理解できるような気がしました。それは、聴覚という点に限らず、人は誰でも自分と他人と比較して落ち込んだり、失ったものに執着したり、体型のコンプレックスを引きずったりしてしまうものだと思いますし、現に自分がそうなので、この考え方を覚えておこうと思います。
しかし、先生もおっしゃっていましたが、受容という言葉は、実感もしづらく、それに、人の感情として、肯定と否定の間を揺れることがいつまでも続くのは当然で、受容したかどうか?という視点で考えることは、自分にとっては意味のないことだと思いました。その一点にこだわらず、相手を見たい気がします。
それから、先生はずいぶんと厳しい教育の中で、話言葉を身に付けた、というよりは、掴み取ったのですね。幼い高山少年は、他の子たちが遊んでいる時も、家でのんびりしている時もお勉強と訓練をがんばっていたんですね。そういう経験のある先生なら、きっといいお父さんになれるのではないかと、勝手に思いました。また、耳の聞こえない両親のもとに聞こえる子が生まれた場合にどう教育するかという問題も、まだまだ考えることは多く、どうサポートできるかも、考え始めました。来週もまたよろしくお願いします。

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「価値転換説」が感覚的に近いものがあるように感じました。苦手な運動につい
て、価値転換説の図式に近い気持ちの推移をしてきたように思います。これまでの他の科目を含めた授業で「受容」という言葉が、臨床心理のカウンセリングから出てきたように思いますが、自分や家族の障害を含めた特性について「受容」という言葉が適切でないことも今日の授業で納得できたように思います。
家庭は、「くつろぐところだった方が良かった」とご自身の経験からお話があ
りましたが、お母さんの聴覚口話の訓練への熱意を表現されているように感じま
した。先生の言語獲得は、お母さんのその熱意の賜物のようにも思います。
ろう文化のアイデンティティを掲げて、自分は聴覚口話を獲得しながら、教育
者として日本手話と筆記日本語を推進している方のビデオを見たことがあります
。聴覚障害を持つ小児の親への先生のアドバイスは、どうされていますか。

高山:私はいつもお子さんにとって、また親にとって一番話が通じ合えると思う方法を選んでください。子どもが笑顔で答えられるコミュニケーション、家庭環境を作っていってくださいとアドバイスしています。根底にある言語・思考としては日本語、日本文化があるわけですので、それにのっとって考えていけばいいのだと言っています。補聴器や人工内耳などはあくまでも補助機器であり、細かいことは専門家に任せておけばいいのですから、家庭では親子らしい会話をしてあげてください。それが子どもの思考や感情を育てることにもなり、また健全な心の発達につながるのではないだろうかと言っています。

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本日の感想・質問をお送りします。宜しくお願いします。
本日、先生のプリントを見ていてある記事のことを思い出しました。障害者の「害」の漢字についてです。

http://www.asahi.com/culture/update/0513/TKY200905130306.html

私はそれまで「障害」に他の表記の仕方があることを知らなかったので驚きました。正直、どの字でもいいのではないかと思ってしまいます(深く考えていないからだとも思います)が、先生はどのように考えていらっしゃいますか。
障害と障碍と障がい・・・。どの表記がいいのでしょうか。
今日の授業では、先生の子どもの頃(「こども」も「子供」と「子ども」の2表現がありますね。)のお話(家で母親にお箸と言わされ疲れたという内容)を聞けてなるほどと思いました。
親としては子どもに言葉を教えたくて、でも子どもは日々の生活にクタクタで・・・。教育に夢中になると、すぐ子ども目線になることを忘れてしまうことに気がつきました。家が安らぎの空間でなくなってしまうことは私もあまり良いことだとは思いません。家庭・家族はいつでも温かく包み込んでくれる場所であってほしいです。

高山:障害か障がいか障碍かという話題ですが、私にとってはなんでもかまいません。それぞれの自由ですから。ただ、はっきりとして理由は持っていて欲しいと思っています。私にとっては表記の問題であり、大切なことは中身の問題だと思っています。

ーーーーー

今日の授業を聞いていて、まず感じたことは、障害を需要するということは、私たち一人一人が自分自身を受け入れるということと何も変わらないのだということです。障害の有る無しに関わらず、私たちは皆、自分という人間の中に受け入れ難い部分を1つくらいは必ず持っているはずです。そんなところも含めて自分という人間を受け入れて、生きていかなければなりません。障害の受容も本質的には何も違うところはないと思います。また社会受容という面でも、自分という人間を他者に理解してもらうという点では本当に何も変わらないのだと思いました。障害を持つ人と接する時に、障害があるから特別だと考えるのではなく、自分が自分自身を受け入れてきた過程を考えて接することが、相手の立場に立つという一番近道なのではないかと感じました。ありがとうございました。

ーーーーー

障害を受け取め、認識するのは、健常者が持っているコンプレックスと向かい合う方法と似ている様な気がしました。又、母親との関係の大切さ、他者が障害者を心から受け入れる事の重要性を知り、STとして、その部分をもサポート出来る力を付けたいと感じました。

ーーーーー

今日の講義の中で、障害受容について聞き、当事者や家族は様々な心の葛藤と戦いながら、受容しているのだと思いました。その時その時によっても様々な悩みがあり、受容することはとても難しく思いました。
また、先天的や後天的によっても受容の仕方も考え方も違うのではないかと思いました。少しだけ心の中の叫びを知った感じでした。

ーーーーー

今日配布されたインテグレーションの体験のプリントを読んで、ある事例が思い出された。
肢体不自由の女子が普通学校に通うか否かで、学校側と親とが対立し、争ったケースである。
入学するとなる学校では、バリアフリー化がされておらず、階段も普通とは違うため介助者を要し、学校側が問題が起きた場合、対処や責任が取れないため入学を拒否したのである。
私はこの件で、親のエゴ的な発言や色々な点から、特別支援学校の方が良いのではないかと考えた。
しかし、普通学校に行きたいという意志は本人も望んでいるこである。
結論として、本人の意志を尊重した方が良いとの考えに至ったが、インテグレーションのプリントを読んだことから、どちらとも言えないと感じた。

ーーーーー

障害受容・障害認識は、当事者自身だけではなく家族単位で考え、環境や関わる人達によっても様々だと感じました。

私自身、聴覚障害ではないのですが、家族に障害者がいます。
今まで何も出来ていませんが、家族として家族にしか出来ない事をしていきたいと思っています。

家族の役割のアセスメントで、以前母親が障害だから仕方がない、わからないのではなく、悪い事は何故いけないかを教え、どうすれば良い方向にいけるのかを考えていかないと、本人が適応していけなくなると話していた事を思い出しました。

ーーーーー

講義ありがとうございます。
今日の授業の資料で、聴者がもっと歩み寄ってくべきといった内容が書いてあるものがありました。
そこで1つの疑問があります。もし、逆の状況、手話が第一言語となりって、手話ができない人がいるとなった状況ではどのように歩み寄ってくれるのかなという疑問です。

高山:聴者が歩み寄るべきと書いた覚えはありませんが。。おそらく社会受容の事だろうと思いますが、大事なことは社会全体が正しく障害理解をすることだと思っています。

ーーーーー

今回の講義を受けて、障害を受容をするという事は、本人と家族にとって、沢山の葛藤があるという事を知りました。
また、周りの人たちとのコミュニケーションも大切だと感じました。

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障害受容について考える良い機会になりました。先天性のろう者・難聴者と中途失聴者の障害受容の過程の意味付けが異なるということに気付かされました。
先天性のろう者・難聴者にとって障害の受容というのは異文化(音声言語)との接触、驚き、葛藤ともいえるというのが印象的でした。先天性の場合、自分と異なる他者とどう向き合っていくかということが重要になるのだと感じました。

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価値転換説を学んだ。
障害を受けた方が、悩んだり肯定したりしながら障害を受け止めていく。その中で悩みは小さくなりながらも消えるわけではなく常に内面に存在する。
STは訓練や検査といった表面的なものだけでなく、専門家として家族では解らないかもしれない患者さんの本当に悩んでいる事を支えられるようにならなくてはと思いました。
私自信、絵画をやっていて家族では理解してもらえない、言葉には表現できない悩みを支えてくれ、アドバイスして伸ばしてくれる先生がいました。私も誰かのそんな存在になりたいと思いました。

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今日の授業は自分自身の生き方を考えるきっかけになりました。
「社会的受容」の所で先生が「僕が頑張る事が他の聞こえない人の力になればと思う」とおっしゃっていました。私は様々な山積みとされた問題を知るたびに、自分の無力さを感じ、落ち込む事があります。小さな一歩を積み重ねて行きながら、私も人のためになるような生き方をしたいと思いました。
また、「9歳の壁」について考えました。この9月から夫が、小学校で外国籍の日本在住の子ども達の学級を受け持っていますが、同じ様な「壁」がある様です。限られた時間の中でどのように伝えたらいいか、色々な教材を考え、四苦八苦してます。全てではないですが、具体的な操作が入る事で理解が進むことがあり、ひとつの理解ができると、関連する事柄の理解が一気に湧き出る様に進む事がある様です。言葉の壁がなければ、広がるはずの理解が、日本語圏で生活しているからこそ生じる困難だと感じました。日本はほぼ単一言語の国家ですが、今後、言葉に関して多くのニーズのある方が増える中で、聴覚障害児・者の積み重ねて来た歴史と合わせて、より生活しやすくなる「何か」を分かち合えるのではないかと思いました。そのことで、「9歳の壁」が乗り越えやすくなるのではないかと思いました。
また、アイデンティティーの所では「よい環境とよい人とのであい」の重要さを感じました。同じ様な境遇の友や先輩とのであいの大切さをヒシヒシと感じます。家族全体の支え会いが必要である事を感じました。様々な方が普通にいて、当然の社会を望んでいきたい。STが、そのためにできる事も考えていきたいと思いました。

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お疲れさまです。授業の感想です。
「みなさんは自分は聞こえる人間だと意識するか」というお話で、ハッとしました。そういう風に考えたことはありませんでした。
また、自分は誰?って、アイデンティティについては、30年以上生きてきましたが、いまだ分かりません。なんとも言い切れないというか…。
ただ、考えて悩んで、「あ、こんな感じかな」ってちょっと落ち着いて、でもふとしたことでまた悩んで…。繰り返しです。
アイデンティティに限らず、ちょっとしたコンプレックスなんかも、そのような感覚です。障害とコンプレックス、個人差がありますが、捉え方や向き合い方によっては自殺を選ぶ人もいるという意味では、感覚的には近いのではと思いました。入学してから「障害は個性」という言葉をよく耳にします。私はその言葉があまり好きではなく、いつも違和感を感じていました。
そんなことは言うまでもないし、とはいえ、「言うまでもない」と言うのはなんだか気恥ずかしいし…。いつも居心地の悪い思いでした。
コンプレックスも、よく「個性」と言われます。どちらにせよ、確かに個性なんですが、「それは個性だと考えて…」という言葉は人それぞれ受け止め方や悩んできた過程が異なるので、人に容易に言いたくないし、言ってはいけないと改めて思いました。

それではまた宜しくお願い致します。台風が近づいていますので、明日お出かけになる際はお気をつけください。

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「受容」ということばについて、他の先生の講義で簡単に使うのは良いことではないと伺いましたが、今日の講義を聞いて、その理由について少し理解することが出来た気がしました。耳が聞こえる人が大半である世界の中で、完全に障害を受け止め、肯定するというのは難しいのですね。私自身が耳が不自由な立場にあったとしても、肯定的な気持ちを持ち始めるまでには、自己嫌悪や、閉鎖的な気持ちを経験すると思います。そのような耳の聞こえにくい方々の、表面には見えなくても心の中に抱えている障害に対する否定的な気持ちをくみ取り、前向きな気持ちへと変えていく手助けをすることが出来る存在として、STも関わっていく必要性を感じました。

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今日の授業のテーマの障害の受容については、いかにあるがままの自分を受け止めるか、ということとその過程のなかでの葛藤とどう向き合うかが重要だと感じました。
また、学童期に抽象的なものについてどう理解していくか、「9歳の壁」をどのように乗り越えていったらいいのか、その後の成長にも影響を及ぼすであろう点で大きな課題だと感じました。
ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

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先生の授業を受けてから、聴覚障害を理解できる方法はないかと思い、耳を塞いで外を歩いてみました。この程度で聴覚障害の何がわかるのか?と言われてしまいそうですが、実感できたことは、
1、一生懸命首を回して視覚で周りの状況を把握しようとしていたこと。疲れました。
2、ほとんど音がわからない=人の気配がわからないということ。
3、街中は聴覚優位の世界になっている。(標識が少ない)
でした。
私は音を遠くに感じながら、何か考え事を始めると、何も気配を感じなくなり、気が付くと場違いな行動をしていました…
聴こえることを経験しているからこその実感なのかもしれませんが、新発見があり勉強になりました。

高山:そのようなことをやってみようとしてくれる気持ちは評価できますし、うれしいことです。ただ、どうしても骨伝導という聞こえがあり、なかなか難しいところです。聴覚障害が一番体験しずらい障害と言われているゆえんです。

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聴覚障害の勉強を始めて、障害の受容という言葉をよく聞くようになり、はじめは「そういうもの」と思って納得していましたが、いろいろな話を聞くにつれ、いまいち表現が適切ではないように思うようになりました。

『受容』と聞くと前向きな響きですが(前向きなことだと思いますが)、それだけではすまない気持ちがいろいろあって、その部分が伝わりきらないのではと思ってしまいます。

あるがままを受け止めたとしても、やはりやりきれない気持ちになることはあって、それでも前向きに生きたいという気持ちから、時に、沸き上がったやりきれない気持ちを『封印』というかたちに近い手段をもって、なんとか明るい状態をキープすることもあると思います。この気持ちを表現するのに『受容』という言葉にはもの足らなさを感じてしまいます。

私の感じ方に問題があったのかもしれませんが、私のように簡単に納得してしまう人もいると思います。
だからといって、適切な言葉がなにか思いつかないのですが、私のような感じ方ですませてしまう人が減るような表現があればと思いました。

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今日の授業を通して、個人が自分の障害を受容するかしないかよりも、社会受容が重要ではないかと思いました。聴者や病気をもたない人にとって、病気や障害を持つ人は、自分との間に何か一線をおいてしまうようなことがあように思います。そして、それは意識的なものではなくても、病気や障害を持つ人へと伝わり、「他者から負わせられる苦しみ」へとなるのだと思いました。そうした他者が自分とは変わらない存在であることに気づくことが社会受容へとなるのだろうと思いました。
そして、他者や社会の中で「他者から負わせられる苦しみ」と「障害児」や「ろう児」という存在を経験する積み重ねで、「障害者」、「ろう者」というアイデンティティを確立するのだと思いました。また、このような経験をするからこそ、ろう文化が生まれ、今も文化が続き、伝えられているのだと思いました。
今後、障害を持つ方、病気を持つ方と関わる際に、その人と自分の間に、障害を持つから、病気を持つからという理由で一線をおいてはいないか、考えてみようと思いました。

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成長するに連れて、色々と深い悩みを重ねて行くのが人間だと思います。
それは、性差や年齢差や、聞こえる聞こえないに関わらず、皆に共通して言える事だと思います。
先生が価値転換説の説明のときに仰っていた、聞こえても聞こえなくても人間は人間で、障害があるからといって価値が下がる訳ではない、という言葉を聞いて、本当にその通りだと思いました。
また、行き過ぎた社会受容は、お互いが平等に生活できて、競い合ったり、楽しんだり、そういう社会とは、少し違ってくるのではないかと思いました。
その病気や障害を持つ人にも、それを受け入れるとする周りの人にも、お互いが変わろうという姿勢が必要で、自分と違う人の為に頑張るのではなく、純粋に、仲間である相手の為を思いやる姿勢が必要なのだと思いました。

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『受容』の話、興味深かったです。

我々『聞こえる者』にとって、『聞こえない人・聞きづらい人』に限らず障害を持っていらっしゃる方々に、どうも上から目線・憐れみ目線で接してしまいますね。違うと思いながらも、勝手に『壁』を作ってます。
言い訳させて頂くと、「アレを聞いては失礼かな?」とか「困ってるかもだけどご自分で達成したいかな?」とか「立入過ぎは逆差別的かな?」とか頭をよぎってしまうんです…。
折角こうしてお会いできたし、いろいろ教えて頂いて、壁を作らず自然な付き合いが出来る様にどうか私の心を鍛えて下さい!!

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今日もありがとうございました!
今日の講義は、今まで以上に考えさせられるものでした。特に「障害受容」や「障害認識」について考えました。
私には両耳補聴器(常時装用なので中等度以上だと思います。)の友人がいます。大学一年の時に知り合いました。
私から見ると彼女は特に難聴者ということを意識していない様で、このことを聞くと失礼だと思ったので、今までこの話題に触れたことはありません。ただ、話しかけると彼女は聞き取りやすい(と思われる)耳をこちらに向けるので、そちら側から話しかける様にしたり、複数で談笑している時前出の話題を2テンポくらい後に再び出した時があったので、その場で一緒に笑っていても聞こえてなかったのだと思ったりした経験がありました。
前述の通り幼少時代のことについて聞いたことはありませんが、彼女は通常学級で教育されてきたと思われます。また、街中で手話をしている人達をたまたま一緒に街中で見た時に「私は手話が出来ない。」と言っていた様子から「私は手話を使っている人達とは仲間ではない。」という思いが感じられました。さらに、彼女は障害者枠で内定をもらった企業は「自分の実力で内定をもらった気がしない。障害者枠と言うのが嫌だ。」と言い、現在は大手企業で総合職として働いています。当時そもそも何故障害者枠で受けたのか疑問に思いましたが(その理由を未だに聞くことが出来ず残念ですが)、彼女の中で何かしら葛藤があったのだと思います。
この彼女は「障害受容」が出来ていないと言えるのでしょうか?私は無理に「障害受容」をする必要はないと考えます。少なくとも「障害認識」は出来ています。無理に「障害受容」をすることによって、それまで確立されていたアイデンティティが揺れ動く場合もあると思います。
本日の授業を聞いて、皆が皆「障害受容」をしている、または、しなければいけないわけではないのでは?と違う視点の意見もあることを知って欲しいと思い友人のエピソードをあげました。

加えて、授業では以下のことが新しい知見でした。
①早期に難聴の子どものコミュニケーションモダリティを決定すること
→もし自分が難聴児の親になった場合、悲しんでいる時間があったら、子どもの為にと早く頭を切り替えたいと思います。または、難聴児の親と関わることがあった時には、親の気持ちに寄り添いながらその子どもの最善のコミュニケーションモダリティを考える方向に導きたいと思います。
②難聴児にとってインテグレーションは疲れ、家でまで訓練したくない。
→このことを常に頭の片隅におきながら、難聴児と接していきたいと思います。③抽象的な言葉を聴覚口話法だと理解しにくいが、手話での教育だと簡単に理解できる。
→生活言語の時から学習言語に繋がる下地を育てられるように意識して指導を行えるSTになれるように努力したいと思います。

来週の授業も楽しみにしております。よろしくお願いいたします!

【質問】
以下の質問について、授業またはホームページ等で教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

・授業内で「学校では疲れるから、家でまで訓練したくない。」とおっしゃってましたが、今でも帰宅後に(インテグレーションの中での)疲れが出ますか?それとも年を重ねるごとに軽減されてきましたか?

高山:今は帰宅後に疲れることはありませんが、疲れと言うよりはストレスがありますよね。小学校の時は訓練の意味が分からなかったので、疲れたのだろうと思っています。今は、目標もありますので、また違った意味での疲れはあるのかもしれませんね。

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今日の授業の感想について、とても印象的だったのが『皆は聞こえることを意識したことある?』っとい言葉です。僕らが聞こえることを意識しないのと同じように、難聴の方も聞こえないことや聞こえにくいことを意識しないのだということ、その感覚が同じだということがわかりました。そして、難聴について先生が『受け止めているか?』と言う問いを問われると返答に困るとおっしゃっていたことも印象に残りました。『たまに今でも聞こえたらと考える』他の聴覚障害の授業でも『障害の受容』についておっしゃっておりましたが、実際先生からお聞きすると何か違ったモノを感じることが出来ます。
難聴者同士の親が健聴児を産んでも、逆の受容が起きることも驚きました。
私達がSTになった時、難聴に対して親の葛藤、子供の葛藤を考えながら接していかなければならないことが重要なことがわかりました。

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キュブラー・ロスの「死の受容」をことをこの授業で初めて知ったのですが「死の受容」という翻訳がとても印象的でした。
何かを受容するということは、それまでの自分との死別にあると思います。
簡単に言えば、死と再生です。
慢性的悲哀が起こるきっかけとして、結婚や老齢化などを授業であげていましたが、結婚などはまさに死と再生の儀式であると、宗教学などでは述べられています。例えば、白い色の死に装束を身にまとうことです。それはこれまでの自分との決別であり死に値します。
昔からある多くの儀式には、死を意味する儀式があるそうです。厳格に終わりを迎えるから、次の時を迎えられると昔の人達は考えていたようです。
何かを受け入れようとしたとき、人は以前の自分を殺さなければなりません。
そう考えると、『今の自分(これからの自分・障害など)』を受け入れるのではなく、『これまでの自分』の死を受容することが、受け入れるということなんだと思いました。
また、「家族の構成による違い」のところで、両親が聴者の場合、「両親の障害受容の過程に影響される場合がある」とあり、本人よりも、周囲に対しての精神的ホローのほうが大切なのではないかと、改めて思わされました。

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ライフサイクル理論が出てきましたが、その中で先生が仰った理論家の名前を覚えても意味がない、大事なのは中身だ(大意)という言葉が印象に残っています。

また、リストカットに至ってしまった難聴者がそれを通じて他者とのコミュニケーションを望むという事例が紹介されましたがそれを聞いて痛々しさを感じ、同時に聴者と難聴者の間の意思疎通の問題について考えました。

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当事者ではありませんが、受容・認識について共感を得ました。また、社会受容の中で、「他者から負わせられる苦しみ」なにげない周りの健聴者が苦しめていることに、はっ としました。自分の過去の言動はどうだったのか考えさせられました。ナンシー・コーンのステージモデルでは、障害にとらわれず、個々の問題でもあると思いました。私自身にもあてはまり、悩みは違いますが、考えや想い方は同じだと思いました。最後に家庭の役割はバランスをとることが大切だと、実感しました。

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先天性のろう者・難聴者による障害の受容とは、ある意味で異文化との接触、驚き、葛藤ともいえる」という言葉がとても衝撃的だった。
今まで、障害をもった人の「障害受容」を考え、学んだことは一部の先天的な人
にとっては全く無意味な言葉だったと気づき、私たちの浅はかな考えにショックを受けた。
高山先生が、講義の際におっしゃっていたように生まれつき自分で生まれてきたわたしは、「私」でしかなく、それ以外の文化や習慣をもった環境にふれあう時生じるものは、「驚き」とそれに適応する過程で生まれる「葛藤」であることは当然です。自分の身に置き換えてみるとよく分かります。
この気づきは、今後障害を持つ方々と接していく時に相手を理解する一つの考え方、見方にしたい。「障害受容」という健常者からの一方的な考えではなく、私の文化を理解してもらい、相手の文化を理解し、双方が近い部分で交わることができたらそれは素晴らしいことだと思います。

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本日の授業を聞いて
今まで障害の受容については、時間は掛かるけれども、いずれ受け止められるものだろうと認識していました。しかし受容した後でも、ふとしたときの否定感を抱くときがあるのだと初めて知ったように思います。
ろう者は生まれたときからろう者ではなく、健聴者も生まれたときから健聴者ではない。それを決めるのは自分ではなく、いつも周囲の人間。周囲の人間に言われて、自身はろう者、あるいは健聴者だと気付く。
ろう者にとって、「きこえる世界」を知らないときは、「きこえない」という言葉は存在しなくて、音の無い(というと語弊がありますが)きこえない世界が当たり前。なんと言えばいいのか悩みますが、自分が生きている世界の当たり前が、砂上の楼閣のように感じます。いずれがらりと崩れてしまう時が来るのかも。
「きこえない世界」に生きる自分を知るきっかけになる「きこえる世界」に直面したろう者の中には、それについて様々な悩みを抱えたと思います。
それならいっそ「きこえる世界」を教えてくれなくて良かったと、思う人はおられたのでしょうか。

高山:たくさんいましたよ。親に感謝しつつも、インテグレーションではなく、聾学校に通わせて欲しかったなど。様々です。

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講義ありがとうございました。

講義中、『耳が聞こえにくいということを、どうやって受け入れたのかと聞かれても、
どう答えて良いか分からない。だって、聴こえることを、どう受け入れたのか聞かれても困るでしょ?』と、いうようなことを、おっしゃられていたのが、印象的でした。
確かに、気になったところをただ質問したのでは、『日本人であることを、どう受け入れましたか?』と言うくらい、意味の掴みにくい質問になってしまうことに気がつかされました。

また、ろうの両親から聴こえる子供が生まれるよりも、聴者の両親から難聴の子どもが生まれると、受容に時間がかかるという話には、なるほどなと納得してしまいました。難聴であることを受け入れられず、補聴器を付ければ。人工内耳を付ければ。聾学校に行けば・・・聞こえる人間のようになれる、という期待を抱いて しまう節があるのではないかと思います。親が聴こえが悪いことを受け入れられなければ、子供は誰にも受け入れてもらえないと感じるのではないでしょうか。

最近では、新生児スクリーニング検査も行われるようになり、早くから難聴診断が可能になって来ているにも関わらず、診断後の親・子を支える体制が整って居ないように感じます。難聴の子供が孤独を感じることなく、心身ともに健康的に成長出来るよう、地域ごとに交流の場が広がればよいと思うし、先入観もなくなるの ではないのでしょうか。いつの日か。社会が受け入れ、手話と日本語が使われるような国に日本も変わっていけばよいと思います。

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今日は聴覚障害者のおかれた立場や直面する問題について、それはそれは将来STとして役立つだろうと思えることを、色々な事情のケースごとに教えていただき、とてもありがたかったです。

特に印象に残ったのは、学校で口話法を習うことは聴覚障害児にとってとても疲れることで、家庭は温かいリラックスの場であってほしい、というお話で、なるほど!と納得しました。
聴覚障害児に限らず、教育全般に通じる当然の発想だと思いました。

そうした意味では、症例として言語獲得に大変な成果をあげていたとしても、それゆえに全面的にOKであるとは言い切れないこともあるというようにも思いました。人間の存在自体は奥深いものであって、そんなに単純なものではないのだと思いました。
また、すべての人が手話を使える島というのは、なるほど、そういう方法もあるのか、と目からうろこが落ちる感じがしました。一つの理想の社会のあり方のイメージが与えられたように思いました。
今日も貴重なお話をありがとうございました!

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今日は障害を受容するについて色々と教わり、考えさせられました。
私は障害の受容、認識はとても難しく時間がかかるだろうと思います。
ですが家族がいて、友人の存在、また同じ痛みを共有出来る人達がいたら、人間は一人では生きていけない弱い生き物であり、お互いが支え、支えられていることを知り、現実を受け止め、前に進むことが出来て受容と認識することが出来るのではと考えました。
人間は誰かに生かされて日々生きているんだなと思います。
次回も宜しくお願い致します。

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「みんなが手話で話した島」が個人的に初めて聞いた話だったのでおもしろかったです。受容と認識はろう者だけでなくほかのことにも通じる話だと思います。

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本日もお疲れ様でした。
障害の受容について、段階的な経過をたどるという考え方が受け入れやすいのは、他の発達や学習というものの進展がやはり段階的に進むというふうにとらえられているからだと思います。でも、実際にはいろいろな考え方があるのですね。発達でも、実際には行きつ戻りつというふうに、いわばらせん状にすすむのだという考え方があるようですし、それには経験的にも納得する部分があります。もっとも、発達の場合は、時間スケールの取り方の違いということかもしれません。障害受容、他者との違いということとは、また異質なのかとも思いますが・・。 まとまらずに時間を過ぎてしまいました。また来週もよろしくお願いします。

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今日の授業では、難聴者も聴者の発達も根本的なところでは何の相違もないのではないのかと感じました。自分が自分であることを確立していく過程や、両親や家族が子どもの成長を見守り、その関係性の中から自己を築いていくことは障害の有無に関わらず行なわれていくことであると思いました。しかし、私たちが、STという専門職という立場でクライエントに接するときに持ち合わせているべき障害についての知識はしっかりと身につけておかなければと感じました。

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高山先生、お疲れ様です
お体のお加減はいかがでしょうか
いつも少しお顔の色がすぐれないのが気になります
今日の講義はいつにもまして、きめ細やかな「コミニュケーションのあるべき姿」という内容でした
指文字、少しずつ覚えています
それと先生の手話をお話を集中して伺っていると少しは覚えそうですがなにせ、中古の脳細胞?てないかな、でもきっとアガサ・クリスティのポアロの灰色の脳細胞ならぬ、私の少し乾きかけてくろずんだ?脳細胞は、手話を授業中で納得してもすぐ忘れてしまうのです
でも先生の授業の間に少しでも覚えたいと思います
「ときどきは、たまーには聞こえたらいいのにと思うことがあります」とおっしゃった感覚がほんの少しだけわかります
自分の記憶が信じられないほど一瞬で消えてしまっていて、まったく覚えの無いことがあったり、学校の階段を毎日少し多く上っていると、膝が痛くなってしまうときとか私の青春時代の話をクラスメートと話しているときそれが、40年前のことだったり、(それは、彼らにも体験させてあげたいほどのなかなか充実した学生生活だったりするのですが)周りの子達に「生きてない」なんて言われたり、あと20年もすれば私は立派な!老人で介護される側にまわっているかもしれないことをふと思い浮かべたり・・・
まあ、この前も読んでいただいたように、私もほとんどは、「私はわたし、学生で楽しく苦しく頑張ってるただの人」という意識なのですが
先週あたりから、私もクラスメートたちもみな、かなり疲労でバテ気味です
天候の不順さもあるし、また後期の授業がめちゃくちゃ多くて、先週などは1日450分なんてザラでした
普通の高校の授業だと9時間授業です
しかも、休み時間は10分が前の授業が長引いて5分くらいしかなかったり・・・
先生の授業は、話してくださる内容を実践して見せてくださっているようです
聴覚障害のために遅れた「知識の吸収」というハンディを、また極端に不足した情報の中で、どんなに頑張って克服なさってきたのでしょう
この前も書いたかもしれません、今日、授業を受けていて思いました
先生の手話とお話の両方を聞く授業はとても贅沢です
先生の表情や言葉をなるべく逃さずに受容することは先生の人格そのものにじかに触れさせていただいているようです
非常に先生との精神的な距離が近い感じがします
ふっと私もそうだったのかもしれないと思いました
下を向く生徒に、「どうした?体調悪い?」とか、おしゃべりする生徒にこちらを向かすための質問や、呼びかけや「わたしを好きになってみて!」という無言のアピールを送り続けていたかもしれません
「国語の授業は、一番好きな人に自分の気持ちをまっすぐ伝えるための学問だよ。そして好きな人の気持ちをまっすぐ理解するための心を育てる学問だと思うよ」と新学期には必ず初めて会う生徒たちに話してきたんですが、先生の授業を受けていると、聴力障害を持つということの意味を体ごと伝えてくださるので、
目に見える障害のあるなしを越えた人間と人間たちが共に生きるということの意味を目の前に突きつけられている感じがします
明日は台風で午前中が休校です
それでやっとパソコンを開く精神的なゆとりができました
今朝、前回、この感想メールを送るのを忘れていたことに気づきました
申し訳ありません
先生のおっしゃる「・・・ねっ?!」という語尾に使う言葉はとても優しい響きがあります
次回もよろしくお願いします
お体、お大切になさってくださいね

高山:いつも体調を心配してくださってありがとうございます。なんとか大丈夫です。皆さんが少しでも理論なり技術なりなんでも吸収して、一人の立派な言語聴覚士になってくださることがエネルギーになりますので。。。

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※第4回の感想を送るのを忘れていました。 期限切れだと思いますが送ります。 すみませんでした。

「想像してみてください。」ということで、もしも自分たちが宇宙人だったら・・・という仮定でグループワークをした。
もし、本当に自分たちの身にこのようなことが起こったら・・・
私は、この学校に入る前は「自閉症」の施設に勤務していました。彼らもまた「自閉症文化」をもった人たちでした。 私が、自分の感覚でつきあっているうちは、彼らの生き辛さを知ることもなく、彼らを理解することができず、彼らもまた私を受け入れることはありませんでした。
しかし・・・彼らと生活するにつれてこの世の中がいかに生きにくい社会であり、毎日酷いストレスにさらされていることがわかりました。
分かってあげられなかった事に申し訳なくて、そしてくやしくて涙がこぼれました。
触覚の過敏性、、、服を着れない理由がわかりました。プールの水を嫌う理由が分かりました。洗面時に不穏になる理由がわかりました。こだわり、、、、見通しをもつことが苦手で、不安だったこと。言語理解の困難さ、、、私が話しかけると混乱して私ではなく自分を責めました(自傷)。
まだまだあります。彼らの視点で世界をみることができたとき、今度は私が鈍感な異星人であることに気づきました。
本当の世界、正しい世界はありません。世界の数ほど、人種の数ほど、お互いが理解し合わなければなりません。頭で理解するよりも、まず心で感じ、同じ目線で世の中を眺めてみることがお互いを分かり合う一歩なのかもしれません。

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前幼児期にコミュニケーションの方法を早急に決めなければならない時、STとしてどうアドバイスするか。私が最近ずっと考え続けている事です。将来の可能性を広げるために、聴覚口話法を進めたいと思います。一概に正しいとは言えないのでしょうか?
後幼児期には訓練に多く時間を割くより、遊びを通じた子供同士の交流が重要というのは納得です。私が親でもSTでも訓練にとらわれて、子供にとって当たり前に大事な事を忘れてしまいそうです。
聾学校かインテグレーションかというのも、とても難しい選択と思っていました。情報保障があればどちらでもいいという先生の発言にはびっくりしました。でもほっとしました。
家庭では訓練をやめて、落ち着ける場にというのも本当にそうですね。聴覚障害児は特に、健聴児にとっても同じ、反省しました。
9歳の壁、先生は実感されたのですね。その時どう対処できるのか?普通小学校に通う聴覚障害児を支援するシステムはありますか?
青年期に職業支援やジョブコーチ制度、カウンセリングなどの支援も重要とありますが、現在そのような制度はありますか?
順番が逆になりましたが、障害の受容までには段階があり、また否定肯定がその時々で入れ替わり、完全に受容には至らないということ。自分だったら、立ち直れる気はしませんが、それでも生きて生活して行くために、そうなって行くと思いました。
社会受容、障害者を心から受け入れるというのは、具体的にどういうことかと考えています。健聴者と全く同じ意識で関わればいい?同じように気持ちを伝え合えるように歩み寄ること?でしょうか?
すっかり時間を過ぎていますが、打ち始めたのは1時間以上前なのでお許しください。今先生の授業は私が1番知りたかったことです。

高山:聴覚口話を進めることが一概に正しいとは言えませんが、子どもの能力や家庭環境を適切にアセスメントした上で適切なアドバイスを送ってください。親にとって、専門家とは権力を持った逆らえない立場と受け止めているはずです。それを自覚しながら、親にとっても身近な言語聴覚士になってください。残念ながら、普通小学校で支援システムが構築されているのはわずかです。国の制度がないからです。

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聴覚障害者の心理社会的発達をほんの少しだけ概観することができたが、一番感じたことは、悩みをもっている健聴者と大差ない心理発達を遂げるということだった。
私はたまたま健聴者であったが、聴覚とは他の出来事でショックを受け、変化を期待し、深く悲しみ、強く生きていきたいと思い、現実逃避せずに生きていくことに決めた。しかし、今でも悩みは尽きないし、同じ種類の悩みを持たない人間に生まれ変われたらと時々考える。
当たり前のことかもしれないが、聴覚障害者の心理社会的発達といっても、根本的には私達と変わらないのだと思った。

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お世話になっております。
手話はあ行、か行を覚え、自分の下の名前を自己紹介できるようになりました。早速披露しよう…と思いましたが、多少不安でしそびれてしまいました。習いたての言語を話すのは勇気がいりますね。
中国に行ったことがあるのですが、その時も、中国語講座に通ったにも関わらずしゃべれず仕舞でした。
積極的にならなければ上達しませんね!

本日の感想は…、『段階説』は、そのまま失恋からの立ち直りのケースに当てはまりそうですね。いつもではありませんが、恋もし、失恋もたくさんしてます。こんなことに当てはめてしまい失礼かもしれませんが、ぴたりと符合しました。

アイデンティティは難しかったです。様々な立場に置ける自己がいて、これを統合する普遍的な自己…、青春期に再び同一性と言う言葉が現れますね。青春期の多感な時期、様々な出会い、体験が自己について悩み考え確立していくのでしょう。

さて、ひとつ疑問に思えたのが、『ろう者を排除しない社会』最後、本土から来た先生が手話で話す子を「静かにしなさい」と注意した箇所です。
確かに手話のみでの会話ですと、それ程うるさいとはおもわないと思います。なぜ先生は静かにしなさいと言ったのか?。
それは、いつの間にか先生にも手話を理解出来るようになっていたのではないでしょうか。いつの間にか、先生もこの社会に馴染んでいたことを証明するエピソードではないでしょうか。

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いつもありがとうございます。今日の先生のお話、心理的発達の中で、私はピア(・カウンセリング)というものが印象に残りました。同じような立場にある者同士だからこそ、説明も必要とせず感じあえるものがある。問題意識も持ち合える。共感をもって話を受け止めてくれる。本当に大切な存在かと思います。(もちろん、聴覚障害者に限らず、わかりあえる仲間作りは、STを含めすべての社会や集団に必要なものと思いますが。)そしてその仲間同士のコミュニケーションは、「手話」である、というところが、聴覚障害者にとっての「手話」の位置づけを思い知ったように感じました。
いつもいつも遅くなり大変申し訳ありません。宜しくお願いいたします。

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今日もありがとうございました。
障害受容と障害認識について、自分でも家族はどのように向き合っていくのか、非常に興味がありました。どんな障害でも家族は本当に受け入れているのか社会的偏見の中でどのように強い心を作っていくのか。自分の人生の中で出会っていった障害を持つ方々への共通性を感じていました。ある友人はそれを「個性」である、と語ってくれ多少なりとも理解したつもりでした。しかし、今日の授業で心の葛藤への理解が必要でそれを包み込む心が家族に求められていると感じました。
しかし、明確な答えがなく、答えが出るのに時間の経過が必要なのも実感しました。しかし、その中での価値転換説は、私にとって納得できる説でした。良いときと悪いときが螺旋のように繰り返されるのは、人間の心についてあらわしているような気がいたしました。
質問
家族が障害受容・認識を持つとき、家族以外の人はどのように支えて行くべきなのでしょうか。

高山:家族以外の人は適切な障害理解が重要になります。障害理解の授業を受ける機会がどれほどあるのか考えてみてください。本来なら、小学校や中学校で適切な障害理解の授業は必要なはずです。

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講義、ありがとうございました。メールが遅れてしまい申し訳ありません。

障害の受容は、人生の各節目でしなくてはいけないのですね。やはり、人との関わりの変化は成長の中で避けては通れないですし、そんな時の家族の存在は大切なのだと思いました。
講義中に先生が、同じ障害を持つ方を結婚相手として希望される方が少なくないとおっしゃってましたが、高山先生ご自身はどうでしょうか?先生は結婚されてましたっけ??

高山:残念ながら、結婚していません。笑。しばらくは結婚の予定もございません。笑。結婚する相手はろう者でも聴者でもどちらでもかまいません。最低条件は手話が下手でも上手でも関係なくお互いに気持ちの良いコミュニケーションすることができることですね。

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聴覚障害児・者の心理社会的発達の授業を聞いていて、健聴者でもありえる葛藤だなと思いました。
自分以外の人の心の葛藤は、想像でしか解らないし、ついつい自分のものの尺度で測ってしまいます。
それを科学的に、キューブラー・ロス「死の受容」とS.A.カークの理論は著しているので目安になると思いました。
また、聴覚障害学生の心理的社会的に関する研究の結果から、その人が、聾学校に行っているのか、インクルージョンなのか、発声の伝達度も心理社会的発達において影響することも忘れないようにしたいです。

インテグレーションの体験からでは、より具体的に気持ちが書かれていました。
口話で育った彼女の手話に対する気持ち、様々な葛藤とそれを経験にするまでが細かく描写されていて、私にはわかりやすかったです。自分には、難聴の人やしょうがいのある友人がいなかったので、このような手記や、論文はありがたいです。きっと関わる機会があったら、変わっていたかもしれません。

今回の授業は、私が、言語聴覚士になりたい、ことば・コミュニケーションのことをもっと専門的に知りたいと思った頃の初心を思い出しました。

来週の授業も楽しみにしています。 ありがとうございました。

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授業の感想ですが…障害を作り出してしまうのは社会や人の気持ちなんだということを感じました。先生が小さい頃の話をたくさんしてくださったのでとても伝わってくるものがありました。ありがとうございました。

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言語獲得は9歳の壁があると言います。学習内容が具体的なものから抽象的なものに変化するときにその壁が現れ、先日プリントで頂いた中のろう者の方の感想文では確かに文章として未完成でした。高山先生はどのようにしてその壁を乗り越えたのですか。

高山:私の場合は読書と漫画が好きでしたので、それで鍛えられたのかなと思っています。

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講義で紹介されていた、障害への適応について考えたことを書きます。B.A.ライトの『価値転換説』の「否定と肯定の関係図」についてです。

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『価値転換説』については、個人の内面の変化について説明が足りないという視
点から、社会の在り方が個人の障害の捉え方に影響するとして、次の項目で説明されていた『社会受容(南雲?)』の考えが生み出されました。
どれが正しいという訳ではなく、先生の仰っていた通り、この過程には様々なモ
デルが存在するものの、適応・受容過程は個人によって様々であるという捉え方
が現時点ではいいのかと、私も思います。その中で、個人の葛藤の変化を捉える際に、『価値転換説』の『否定と肯定の関係図』の空白部分を見る視点が重要ではないかと考えました。
***
社会福祉の視点には、人の存在を、様々な関係性に支えられて生きる存在と捉え
る見方(=生活構造)があります。同様に、作業療法においても、人の存在は、作業を通じ、物や場所、時間などあらゆるものを精神的・物理的に占め費やし、あるべき場所にあるがままに収まることで安定した日々の生活が営まれる存在であると捉えています。
***
図のらせん部分には、障害の受容や適応、つまり、当事者が「我が思うがままに
動かなくなった身体」を、もう一度「ともにある身体」として感じ、生活の再構
築を図ろうとする人の姿が、モデルとして描かれています。
ここに、人は様々な関係性に支えられて生きる存在であるという考え方を当ては
めて考えてみました。
図の空白部分には、生活の再構築を支える、当事者と他者・時間・空間・もの・
出来事などの関係性の変化が隠されていると思います。
つまり、空白部分には、周囲の人々の支援があり、周囲の人々の認識の変化があ
り、当事者の生活の再構築を支えるあらゆる働きかけの存在が隠されています。
**
長くなりましたが、「否定と肯定の関係図」は、人の生活の再構築のモデルとし
て、非常にシンプルなモデルだと思いました。

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お知らせ:ダウン症児者・自閉症児者・親きょうだいのワクワクレスリング教室


2009
10.13

専門学校の学生さんからお知らせをもらいました。なかなかおもしろい内容ですので、皆さん見てみてください。聴覚障害児版ができたらいいですね。

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先週紹介させていただいた私が参加しているレスリング教室の受講生のドキュメンタリーが現在日本ドキュメンタリー動画祭(主催:日本財団)にエントリーされています!後半にレスリングのシーンがありますので、お時間がある時に遊びにきていただければ幸いです。

★ぼくの未来地図★

参考までに…
先週も紹介させていただいたレスリング教室のブログです。

ダウン症児者・自閉症児者・親きょうだいのワクワクレスリング教室

http://wakuwakuwrestling.dtiblog.com/

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東村山市での登録手話通訳者研修


2009
10.08

縁あって、先週の土曜日に東村山市の登録手話通訳者研修会に講師として呼んで頂きました。東村山市というとあの志村けんの故郷として知られている町ですね。そこに初めて訪れたのですが、思ったより静かな町で東京都は感じないのどかな雰囲気を持った町という印象を受けました。

今回は東村山市の社会福祉協議会で手話通訳コーディネーターとして勤務する端山さんのお誘いでした。彼女は、いつも研修会などでお会いするのですが、いつもきれいで正確な手話を使っていて手話通訳者にとってはあこがれの的になりそうな方です。前置きが長くなりましたが、東村山市では登録手話通訳者を養成するという意味で年に4回ほど講師を招待して研修会を開催しているようです。今回は登録手話通訳者と地域のろうの方合わせて25名ぐらいいらっしゃったでしょうか。約2時間半ほどの研修でした。

頂いたテーマは「アメリカと日本の手話通訳についての違い」ということでした。手話通訳が専門ではないのですが、アメリカに3年間留学していた立場から、また聴覚障害者に関わる専門職養成を研究テーマとする立場からアメリカの手話通訳制度について紹介し、特に養成方法の違いについてお話しさせていただきました。研修会の準備のためにいろいろな文献やサイトを閲覧しましたが、私にとっても大変勉強になりました。

アメリカがすべて良いというわけではありませんが、プロフェッショナルという点では日本は学ぶ点があります。手話通訳制度の発展の起点や土壌が異なるため比較は出来ないのですが、日本は手話サークル、ろう運動から発展してきたボランティアの精神が出発点となっている点が挙げられます。一方で、アメリカは多民族国家である背景をもとにアメリカ手話を言語として捉え、大学で学びプロの手話通訳士を目指すという専門家としての道筋が確立されているわけです。手話通訳士として食べていけるかという違いもあると思いますが、何より法的観点から様々なことが整備されているのがアメリカの強みだと思います。資格制度にしろ、更新制であり、また苦情窓口がはっきりしていること、聴覚障害者のための大学であるギャロ-デット大学を中心に修士課程まで手話通訳者養成がなされていることもアメリカの特徴でしょう。なお、2012年からは手話通訳士には学士号が、つまり大学卒業程度の学歴が求められるようになってきます。日本の課題としては従来の考え方や身構え方を失わずにプロフェッショナルとしての制度を確立させることではないでしょうか。そのためにはろう者などの聴覚障害当事者の運動や取り組みを重要になってきます。

最後に、これからの東村山市の手話通訳制度の発展を願っています。今回は呼んで頂いてありがとうございました。

高山亨太

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臨床福祉専門学校講義備忘録(2009年10月7日)


2009
10.08

臨床福祉専門学校「聴覚障害学演習I」受講生以外の関係のない方、興味のない方は、このページをスルーして頂いて結構です。申し訳ありません。

台風の前日と言うこともあり、蒸し暑い中での受講お疲れ様でした。今日は内容的に講義のみの形式となってしまいましたが、障害の受容、認識について、皆さんなりにいろいろ考えたことがあったと思います。皆さん、考え方は同じである必要はありません。自分なりの感性を中心に理論、技術をもつ言語聴覚士になったらいいと思っています。言語領域、聴覚領域のどちらに行こうと必ず障害の受容、認識の問題は待っているわけです。柔軟に多角的にな視点で対応の出来る言語聴覚士を育てることが「聴覚障害演習」を任された私の役目だと思っています。今日は初めてのレポートを出しました。改めてレポートの説明などもしますので、最後まで読んでおいてくださいね。

高山亨太

今日の講義の目標

多角的な視点・理論を基に障害の受容や認識について考察する。

当事者だけではなく、家族を含めた障害の受容や認識について考察する。

聴覚障害児・者の心理的発達やアイデンティティ発達について考える。

障害受容と障害認識

現在、様々な学者や実践家によって「障害受容」と「障害認識」の定義の違いや言葉のニュアンスについて様々な議論がありますが、私としては障害の受容も認識もあくまでも見方の違いであって、どちらも障害当事者や家族にとっては必ず経験することなのだろうと考えています。障害の受容や認識について議論する前に、当たり前と思う前に、理論的に理解することはとても重要です。また、当事者の経験や体験談を読むことや聞くことも重要なことだと考えています。特にオージオロジーを目指している学生さんには、聴覚障害当事者(ろう者、難聴者、中途失聴者)が書いた本がたくさん発行されていますので、時間のあるときに読むと良いと思います。

障害受容・認識に関する理論

障害の受容や認識に関する理論は、もともと「死の受容」というがん患者へのインタビューを基にがん患者の死までの過程を科学的に解明した著名な精神科医であるキュブラー・ロス博士の理論を基に発展しています。多くの理論が障害者へその家族への支援にスポットが当てられるようになってきた1960年代以降に著されていることもうなずけるのではないかと思っています。私が紹介した理論はナンシー・コーン博士のステージモデル(キュブラー・ロス博士の理論を障害者領域に応用した理論)、価値転換説、社会受容、慢性的悲哀、カークの理論、でした。それぞれの違いや見方を十分に吟味したうえで自分なりに整理してみてください。聴覚障害者領域においては大きくわけて、ろう者、難聴者、中途失聴者、老人性難聴者、重複聴覚障害者が挙げられますので、それぞれの障害特性や背景の違いを踏まえながら、障害受容や認識について考えてみてください。

アイデンティティ(自我同一性)

皆さんもそうですが、人はたくさんの「自分」「顔」を持っています。それを統一、統制しながら生きているわけです。心理学系出身者は必ず覚えておかないといけないのですが、有名な心理学者のエリクソンのライフサイクル論を理解しておくことは重要なことです。障害者やろう者は生涯にわたって障害とつきあい、またそれぞれの人生のステージでぶつかる課題や葛藤があるわけですから。ろう者・難聴者と聴者の間でライフサイクル論の内容が変わるわけではありません。同じ葛藤や心理的危機を経ていくわけです、ただ各ステージに聴覚障害者として、ろう者・難聴者としての経験や葛藤が関わっていくわけです。聴覚障害者として、ろう者・難聴者・中途失聴者としての困難や葛藤を経験しながら、彼らなりのアイデンティティが確立されていくわけです。各ステージでの葛藤を読み取った上での聴覚療法的な支援が言語聴覚士には求められるわけです。

家族をアセスメントするときに重要なこと

まずはジェノグラムなどの技術を使って、視覚的に家族構成を理解することが重要です。ジェノグラムは家族療法の基本中の基本なので、言語聴覚士の実践技術の1つとしてジェノグラムを活用することは可能です。ただ言語聴覚士が心理療法などをやるべきではありません。あくまでも言語聴覚士としての支援に役立てていただくためです。

レポートについて

自分が働く予定の地域や都道府県の保健・医療・福祉・教育マップを作成してみてください。まずは現場に行ったときに使えるものでかまいません。

次回までに教科書を読んでおいてください。

16ページ〜21ページ
70ページ〜73ページ(本日と11月28日のテーマの一部)
112ページ〜115ページ
116ページ〜120ページ
126ページ〜140ページ
190ページ〜195ページ(本日分)
196ページ〜201ページ(本日分)
202ページ〜207ページ(本日分)

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臨床福祉専門学校講義感想・質問(2009年9月30日)


2009
10.05

臨床福祉専門学校言語聴覚 療法学科で開校されている「聴覚障害学演習」を受講されている学生さんの第4回目の感想や質問を特に学 生さんと共 有したいと思っています。関係者ではない方も興味があれば、これから言語聴覚士、特にオージオロジストになろうとしている学生さんの声を感じてもらえれば と思っています。

※プライバシー保護には気をつけているつもりですが、何かあればすぐに高山までご連絡ください。本人の了承が必要な感想文などについては事前に連絡、了承を得ております。

高山亨太

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つい先日、他の授業で日本手話を主なコミュニケーション手段にしている女の子ドキュメンタリーを見ました。
ろう学校に通っており、口話法ではなく日本手話を中心に生活をしていました。

彼女たちは、とても楽しそうに感性豊かに会話をしていました。冗談を言い合ったり喧嘩をしたりと、私たちには想像できない世界がそこにありました。
彼女たちは書記は苦手でしたが、会話(手話)は表現力が豊かで、細かい説明もしている様子でした。何よりリラックスした優しい表情でした。
もしかすると、これがろう文化ということなのでしょうか。
そう考えると、今日の講義はとてもすんなりと頭に入ってきました。

高山:これがろう文化と言えるかどうか分かりませんが、手話を第一言語として生きる少女たちの日常なのだろうと思っています。

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本日の講義お疲れ様です。
本日の講義の中で取り上げられたコミュニケーション手段の実態調査ですが、平成18年度の調査結果を早速調べてみました。
その結果、
総数338を対象に、
補聴器や人工内耳等の補聴 69.2%
筆談・要約筆記 30.2%
読話 9・5%
手話・手話通訳 18.9%
その他 6.8%
不詳 5.9%
の結果となっております。平成13年度と比較すると補聴器・人工内耳等が10%の割合が減り、筆談・要約筆記の割合が6%増え、手話・手話通訳・読話が3%増えていることがわかりました。
この結果から、補聴器や人工内耳では、聴覚障害者におけるコミュニケーションにおいて十分な聴覚補償となっていないことが伺えます。今後手話通訳士や、要約筆記奉仕員の促進が進むことが期待されるのではないでしょうか。

高山:手話通訳や要約筆記についての認識が広がり、ニーズも高まってきたのだろうと思っています。聴覚保障だけではカバーできないのです。それが現実だと気付いて頂くことは言語聴覚士として重要なことであり、聴覚保障のほかのめんでの支援拡充にも我々は取り組む必要があります。

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調べたこと

平成18年度身体障害児・者実態調査結果
補聴器・人工内耳 69.2%
筆談・要約筆記 30.2%
読話 9.5%
手話・手話通訳 18.9%
その他 6.8%
不詳 5.9%
厚生労働省HPより

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/shintai/06/index.html

補聴器・人工内耳がH13年度(79%)よりも減っている理由が
わかませんでした。もし、高山先生が知っていたら教えてください。

授業の感想

読話、手話、筆談 等さまざまな方法でコミュニケーションをとることができて、さらにそのメリット、デメリットも理解できた。
会話ができるということは、「聞くことができる」だけではなく、「意味も理解できる」ことを考えて表現しなければ、コミュニケーションをとることは難しいので、方法を臨機応変に変えて使用することが重要だと思った。

高山:理由はよく分かりませんが、統計的手法の面で課題があるのだろうと思っています。老人性難聴も含まれていますので、補聴器を使用しない老人性難聴の方も増えているのかもしれませんね。本来は分けて調査して欲しいと考えています。

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ろう文化を否定するつもりはありません。日本手話の発展もすばらしいことだと思います。
しかし、いくらろう者や難聴者が様々な職業に就けるとはいえ、日本語を理解できなければ健聴者の中で働くことは難しいと思います。
手話だけでは、文字を読むことも健聴者とコミュニケーションをとることも困難だと思います。また、健聴者に手話を活用してもらうのにも限界があると思います。
健聴者が大半を占める今の社会では、日本手話よりも聴覚口話法などで日本語を獲得すること大切なのではないでしょうか?

高山:その意見は正論だと思います。日本語が分からなければ社会で就労することはできない、たしかにその通りだと思います。ただ、もう少し考えて欲しいことは日常生活上のコミュニケーション手段としての手話と音声言語はどちらでもかまわないと思いますが、書記言語としての日本語を獲得するためには手話を使った教育もあれば、聴覚口話を使った教育もあります。聴者と会話をするときの方法論としては声だろうが、手話だろうが、筆談だろうが、方法はたくさんあります。ただ、日本語の読み書きとは分けて考えてみてください。日本語の読み書きの獲得の方法としてはバイリンガル教育もあれば聴覚口話法による方法もなされています。なので、会話の手段としての方法と読み書きを獲得するための方法は分けて観が手見てくださいね。

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本日の授業ありがとうございました。
手話の複雑さに頭を抱え込んでしまいました。ただ、手話で、コミュニケーションがとれる便利さも感じました。
先生は音がない中で、「たまご」と「たばこ」をどのように音の区別ができるのですか?
聞こえない中で、音声言語はどのように習得したのでしょうか?
小児の先天性難聴の場合、言語獲得が気になったので質問しました。よろしくお願いします。

高山:実際に聞き分けることは難しいのですが、「ま」の方が少し低い音に聞こえますので、かなり意識すれば分かるとは思います。文脈や前後の会話の内容が重要になります。

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聴覚口話法や口話、手話の限界などが少しわかった気がしました。
具体的に書かれている参考書などは、人によって違うので、わかりやすかったと思います。
文化的障害などや最初の宇宙人の話など、逆に文化や属しているものがすべてなくなってしまえばいいと思ってしまいます。
人が一つの文化や集団、職業に属しているから対立すのだと思います。
もし仮に、すべての人間が社会的立場や地位を捨てるならば、差別する基準はなくなります。

人間が人間をやめるのなら、ただの動物です。
中途半端に分かり合える集団がいるから、分かり合おうとするから、互いに反発しあったり、自分たちの主張をするのです。
すべての人間が分かり合えないと思えるのならば、分かり合えることは無いと思えば、
人は孤独です。一つの個体でしかないのです。己が己として生きるしかないのです。
そのほうが互いに、何にもとらわれることなく人間と人間の関係が結べるのではないでしょうか。

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今日の授業で、1番印象的だったのは、想像のところで優生学的に人間同士の結婚が禁じられるというところでした。これは、難聴同士が結婚すると、ハイリスク児が生まれる可能性が多いということですよね?

高山:ろうの親だけではないですが、親に「難聴の遺伝子」がある場合にはかなりの確立で生まれてきます。難聴同士が結婚すると・・というのは昔の考え方であり、誤解です。聴者同士でもろうの子どもが続けて生まれてくると言うのはよく聞きます。遺伝子学的に分析することも大事なことです。

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講義ありがとうございます。

今日は授業の始めから印象的なグループワークでした。
「もし、テレパシーしか使うことの許されない世界だったら」という想定での協議。 手話を第1言語とする人たちが口話法に対応するように求められてきたことなんだなと気付くことはできました。
しかし、自分で出せた答えは、「テレパシーと音声言語の共用」という答えだったのが、悔しい思いでした。

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『文化の中心は言語であり、言葉の発達が文明を支えた』という、一文が印象的でした。
言語・言葉の発達がなければ、私たちは今でも他の動物たちと同じように、過ごしていたのかと思うと改めて、言語・言葉の持つ力はすごいなと感じました。
また、ろう者たちが独自のろう文化を、発展させてこられた理由も分かるような気がしました。
言語・言葉があることで、人は一人じゃなくなり、三本の矢の逸話のように、力をあわせて発展を続けることで、地球の歴史からみると、ごく僅かな期間で、ここまで発達を遂げることが、出来たのだと思います。

言語・言葉が存在してなければ、どんな生活をしていたのだと思うと、想像もつきません。普段、何気なく使っている『言葉』ですが、もっと言葉を大切にしたいと思いました。

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今日の授業の感想について、宇宙人の侵略によって自分がどのような立場に立つのか、とっぴおしもない議題でしたが自分自身がろう話者自身であった場合、どのようなスタンスを取ろうとするのか、どのような状況に置かれるのか考えるにはとても良い議題であったのではないかと思いました。とても偏見的で失礼な考えだ ったかもしれませんが、なぜ聾の方々が聾の文化に固執し健聴者と一線を置くのか不思議なところがありましたが、日本の文化に置き換えた場合身近な問題となりました。前回の歴史も学び、その気持ちを考えると以前より身近に想像することが出来ました。文化を守りたい⇒人としての本能・・・その通りですね。

今日の授業まで「聞こえること」と「分かること」の言葉の意味をそこまで深く考えることもなかったです。聞こえずらい方にはこの二つの言葉の違いは本当に大きいですね。授業の最後に先生が、「人工内耳をつけても、補聴器をつけても、手話でも、口話法でも楽しんでコミュニケケーションが取れる方法を選べるように 。」といわれたことはとても印象的でした。僕らがSTとして関わる補聴器や人工内耳を必要とする患者さんに対し、ただ単に人工内耳や補聴器の調整をするのでなく、その患者さんにとってどのコミュニケーション方法が一番良いのか楽しくコミュニケーションがとれ、笑顔で居られるのかから考えて指導していかなければならない と感じました。

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今日は雨でしたね。一雨一雨ごとに秋が深まっていくのでしょうか。授業ありがとうございました。

今日一番印象的だったのはテレパシーの話し合いです。
授業が終わった後も考えていたのですが、授業中より考えが進み、一概にマイノリティーとして日本人、人間の文化を守るとは言いきれないと思うようになりました。
なぜかと言うと、両親や家族がテレパシーを使える中で自分だけがテレパシーを使えない人間と、両親も家族もテレパシーが使えない人間とでは、求める治療も教育も守る文化も変わるのではないかと思ったからです。

話し合いをしていて思ったのですが、マイノリティーとして日本人・人間の文化を守るためには、テレパシーを使わずに、地底に潜るなどしてマジョリティーである宇宙人から「離れて」或いは「敵対して」生きていくという感じを受けました。

しかし文化を守るために孤立、敵対していく姿勢も何か違う気がしました。勿論この場合、宇宙人による侵略という形なので、これが聴者と難聴者に全てあてはまるとは思っておりませんが、どういう状況であれ、文化を守りながらも孤立することなく日の当たる場所で「共に生きていく」方法を模索したいと思いました。

ーーーーー

本日、体調不良により受講出来ず大変失礼致しました。
本日の授業内容を聞かせて貰いました。
私はテレパシーが使えれば最高なんですが、それだと街中を歩いてたり電車の中でプライバシーがなくなってしまうよなぁ‥など考えてしまいました。
やはり私は文化を守りたいと思うので宇宙人との結婚は嫌な意見です。
そして、本日の授業のコミュニケーション、言語は文化である。これをレジュメを元に調べてみたいと思います。

ーーーーー

本日も授業いただき誠にありがとうございました。

授業冒頭「テレパシーの宇宙人に・・・・」という題材で意見を求められて戸惑いましたがグループの意見を板書にまとめて読んでみると自分達が言語がマイノリティになった戸惑いと言語を守りたい、文化を維持していきたいという気持ちを
強く持つことを実感しました。

臨床福祉専門学校に入学してこの半年、繰り返し教科書、書籍などで聾教育の歴史を学ぶなかで、口話と手話の変遷を学んでいました。
今日の「宇宙人のテレパシー」で自分のコミュニケーションツールを矯正されることへの戸惑いと、コミュニケーションをとる言葉に投射された自分の存在の確かさを実感しました。
自分の頭のある扉が新たにパカッと開いた感じがしました。ありがとうございます。

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今日の講義でテレパシーに支配される世界を考えてみて、ろう者の方たちの気持ちを今までより理解する事が出来た気がします。自分達の文化があるにも関わらず、無理に違う文化に染まる事を強要されるのは腹立たしい事だと感じました。マイノリティの人々を異端として排除しようとするのではなく、互いの文化を尊重しながら、歩み寄って生活していく事が必要だと思いました。
また、コミュニケーションの方法も多様であり、それぞれに特徴があるので、状況によって臨機応変に使い分けていく必要性があることを理解しました。

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今日のグループで話し合ったテーマはとても考えさせられるものだったと思います。自分が話せななくなる事など考えたこともありませんでした。もし、本当に宇宙人が攻めてきたら。これからも考えていかなくてはと思いました。

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もう宇宙人が来たら… 楽しみながらも、色々と考えさせられるテーマでした。
指文字がんばって覚えます。
最後の「聞こえる」と「わかる」の違いは、今まであまり考えてなかったので今後に生かしたいと思いました。

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コトバと文化は強いつながりがあると私も思います。
かねがね、先進国に生まれた身として、それは文化の継承に関わる責務があると思っていました。
今はSTを目指す身として、ひとりひとりのキャパシティを踏まえ、「コトバ」(手話、筆談など…)を選びながら接していく心構えについて、考える機会をいただきました。

手話、がんばります!

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今日の授業では宇宙人に地球を征服されるというテーマでグループワークをしましたが、ろう文化をもつ方の立場を自分の立場に置き換えて考えるのにとてもいい方法でした。

聴覚障害児には選択がいくつかあり、そのなかで手話を選択する意味というか、文化を守っていきたいという心を少し実感としてもつことができました。

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テレパシーを話す宇宙人が地球にやってきた例え話で、文化を大切にする事が1番に頭にうかびました。ろう文化を大切にことが分かった様な気がします。

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今日はやはり宇宙人侵略の話し合いが印象的でした。

口話法を強制して手話を禁止することについて、自分なりに、異文化で暮らす外国人に例えて理解していたところはありますが、身体的な能力の違いを考えると、むしろ外国語というよりもテレパシーに例えられる面があることに気づき、愕然としました。

やはり一人一人の事情や考え方、希望が尊重され最大限に生かされる社会こそ、成熟した社会だと思いました。

また、手話言語を第一言語とした場合、多数の人たちの文化から孤立することをいかに避けるか、ということも大事だと思いました。

しかし、それにしても、聴覚障害者の親は、子供の人生やアイデンティティーについて、早くから重大な決断をしなければならず、それはなかなか辛く厳しいことであるようにも思えました。
自分の子供が将来、自分達夫婦がくだした決断を支持してくれるだろうか、と考えれば不安にもなるだろうし、夫婦間で意見が異なることもあるかもしれないです。
いずれにせよ、STとして、後々までも納得できる選択の助けとなるよう、妥当な情報提供ができるようになっていたいと思います。

貴重なお話をありがとうございました。

ーーーーー

今回は私にとって、とても有意義な濃い授業でした。ろう文化というもの、ろうの人達の世界観について、今までよりも少しは疑問が晴れてきたような気がしています。

まず、手話の種類や、日本手話利用者や日本語対応手話利用者の交流などについても興味がありましたし、読話や口話、聴覚口話についても、言葉の知識としては知っていましたが、実際にどのくらいまで読話で把握できるのかまで、先生の経験として教えていただいたことが、とても良かったです。

今日の授業内容からすると、聴覚口話というのは、聴覚を使うとしても、やはり基本的には口を読むことが大前提と考えていいのですよね?先生は、ここまでわかっていなかったのかと愕然とされるかもしれませんが、私は今日の講義まで、聴覚口話とは、大半を耳で聞ける人が使う方法だと思っていたので、相手の顔が見えないといけないという内容を読んで、初めて口を読むのが基本なんだと気づきました。当たり前なのかもしれませんが、目の覚めた思いでした。

「聞こえる」と「わかる」が違い、様々な聞こえと理解の仕方があることも、漠然とわかっていたはずの事ではありますが、今回はっきりと示してもらい、勉強になりました。

そして、今までなかなか、耳が聞こえづらい、手話を規制されるなどの状況がどういうものか、想像するのが難しかったのですが、今日の宇宙人侵略の設定は、私にとって真剣に考えやすいテーマでした。特に、自分では障害と思っていない音声言語を、少数派で劣ったものとして禁止され、結婚も禁じられたとしたら、不当で理不尽だと思うと思います。ただ、宇宙人と話せるならば話してみたいという気持ちも生まれるだろうなと思いました。

ーーーーー

【授業の感想】
今日もありがとうございました!

今日の講義で以下の2点について新しい知見を得ることが出来ました。
1点目は、「デフコミュニティ」に私たちでも入ろうと思えば入れるという点です。今まで「デフコミュニティ」は、聴者と自分たちを区別し自分たちの殻に自ら閉じ込み、聴者を排除しているものと思い込んでいました。無知とは怖いものです。今後は思い込みはやめ、全て自分の目で確かめる癖をつけたいと思います。
2点目は、「聞こえる」と「わかる」は等しくないという視点です。「聞こえる」=「わかる」という図式は、聴者からの視点です。やはり物事は多数派を中心に動いています。今後は一歩立ち止まって考える癖を身につけたいと思います。

【質問】
以下の質問について、授業またはホームページ等で教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

・「ろう文化」と「デフコミュニティ」は、同義でしょうか?

高山:ろう文化とデフコミュニティは同義とは言えませんが、ろう文化の中心はデフコミュニティと捉えて頂ければ幸いです。

ーーーーー

今日の授業は、前回疑問に感じたことの答えやヒントがたくさんあったので
興味深く拝聴できました。ありがとうございました。

コミュニケーションの方法(聴覚口話法や手話)でどれが一番良いかは、
Linguistic Equality, Naturalness, Mutual Amusementが
話し手、聞き手両者にとってどの方法だと最も具合が良いのか、
という視点をもって考えることができるのですね。
Linguistic Equality, 言語的対等性という言葉は初めて聞きました。
先生は「ろう者が手話通訳を介して、聴者と対等に会話をする」という例を
挙げていらっしゃいました。
この意味について確認したいのですが、
言語的対等性というのは、同じくらいレベル(深さ?)で意味の疎通ができる、
ということですか?

高山:いろいろな意味があると思います。同じレベルで意味の疎通が出来ることはもちろんですが、言語的に優劣がないという事でもあると思います。

ーーーーー

[想像してみてください]のテーマは大変深いもので、もっと話し合えたら良かったと思いました。個人的にも考えてみたいなと思っています。
その流れで、ろう文化に触れた際に先生がおっしゃったろう文化は聞こえない人だけのものではないと言ったことばがすごく胸にきました。

中間手話というものも初めて知りました。確かに日本語対応手話で口話を付けたら疲れちゃいますよね!

ーーーーー

宇宙人が地球にやってきて、、、と考えた時、社会一般がテレパシーコミュニティーを使用して、自分は音声言語でしかコミュニケーションを取ることの出来ない少数派になってしまったとしたら、地球にやってきた生命体が宇宙人でなく、今ここにいる私こそが宇宙人なのではないかと考えてしまうような気持ちに駆られました。少数派だからといって、多数派に飲み込まれ、自分の信念や考えを合わせることを強いられるのは、言いようの無いほどの葛藤と不甲斐なさが溢れると思います。しかし、その強制の改革時に自分が巻き込まれるのと、生まれたときから社会の在りようがそのような立場であればまた状況は変わってくるのではないでしょうか?社会が認めているのはこれで、親もこういう教育方針で、という状況になると子どもは何の疑問も無くその在りようを受け入れてしまいかねないのではないかと感じます。

何が正しくて何が間違っているのかは個々人の捉え方に影響されますが、何も知らない、情報の入ってこない、無知の状態で強制を強いられた場合、そのときは受け入れるよりほかないように思います。しかし、長い人生の途中きっとどこかで立ち止まり、その境遇で生まれた私自身やその置かれている状況について疑問を抱くときが来るように思います。私が私である権利を求め、主張すべき機会が必ず訪れるはずです。そこで頭ごなしの否定ではなく、そういう考えや主張もあるのだと柔軟な姿勢で対応できるだけの社会や環境が整っていることを願います。私自身もそのような考え方や姿勢を取れる人間でありたいと思います。
やはり、その歴史や文化を学ぶということは、比較対象を持ち、物事を吟味することでより状況に合った答えを選択できるという点でも重要であると再確認しました。

ーーーーー

本日の授業で取り上げた宇宙人の話、とても考えさせられました。
自分(人類)は溶け込みたくても、相手(宇宙人)が手を差し伸べてくれなかったら・受け入れてくれなかったら、なすすべはなく、孤立してその(障害者の)コミュニティーでしか生きていけない(コミュニティーにいることが楽になり、自らその世界から出てこなくなる)のかと思ったら、こちらから歩み寄ったら相手(宇宙人)にも近づいてきてほしいと思いました。
宇宙人と人類の共通言語の模索という案もでましたが、では、私たちは手話を学ぼうとしているのか。と先生が問うた時にハッとしました。
共通(中間)を模索すればいいと言うのは簡単ですが、全く行動をしていないことに気がついたからです。
今までそのような人と関わったことがなかったからとか色々言い訳はできますが、
行動していないということは、ただ言っているだけで、自分の気持ちは無い・無関心に近いということだと私は思いました。
考えている振りをしているだけだと思いました。
今後何かしらの障害を持った方と接するときは、こちらから歩みよって真剣に考え行動していきたいと強く思いました。

ーーーーー

今日の授業通して、昔のろう教育のように「しゃべれること」に重点をおいて手話が使えないことは、ろう者にとって言葉や文化そのものを取り上げられてしまうのと同じことなのだとわかりました。
また、ろう者と聴者が話すときに少しでも手話を知っていれば、もっとわかり合えるのではないかと感じました。でもきっかけがないと、なかなか手話を覚える機会がないという人が多いのではないかと思いました。私も手話はできませんが、高山先生の授業をきっかけに手話を少しずつ覚えて、ろう文化を理解できれば良いと思いました。

ーーーーー

本日の授業で一番印象に残ったのは、「聞こえる」と「分かる」の違いを十分に理解することが重要であるという項目です。
私が高校生の時、クラスに聴覚障害の友人がいました。彼は両耳に補聴器を付け、常に一番前の席に座って授業を受けていましたが、大きな声で話せばコミュニケーション取れる程度の聴覚レベルでした。その友人と話す際、よく「聞こえる?」と言っていたことを思い出しました。その時の「聞こえる?」は、「音が聞こえたこと」と同時に「会話の内容を理解したこと」の両方の意味で問いかけしたように記憶しています。
今、思えば、もう少し彼の立場にたって問いかけをすべきだったと反省しました。「私の声は聞き取れるかい?」とか「私の話した内容は理解できた?」といった言い回しにするよう心掛けたいと思います。

ーーーーー

今日の講義の中で、手話や読話などでは限界があると聞き、確かにそうだとは思います。ですが、聴覚に問題がなく、音声言語で会話が取れても、限界はあると思います。人と人とがコミュニケーションを取るには、お互いに歩み寄る努力が必要だと思います。私も聴覚障害の方と接する努力をしていきたいと思います。

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今日の授業は、宇宙人に襲撃されたら…、という話がずっと頭に残っていました。禁止された日本語を堂々と使えるようになるまで、一体どれほどの時間を費やし、どれほど多くの人が頑張って訴えいけばいいのだろう。きっと、時間が経つに連れて、テレパシーを使う事が当たり前になってしまって、テレパシーが分からない人間達は忘れられてしまうんじゃないか、だとするとどれほどの人が傷つくんだろう、などそんな事を考えていました。甘い考えかもしれないけれど、こういう時にこそ人間の情というか、人間の心が全てを動かしていくのではないか、と思います。テレパシーを使える人は困ったりしない世界。だから、テレパシーを使える人は、テレパシーを使えない人がいるなんていうことも、よくわからないかもしれない。しかし、色々な人と接し、自分とは違う考えの人との出会いがあるように、色んな世界があることを知る必要があるんだと思いました。人間、無関心になることが一番恐くて、一番悲しい事なのだと思いました。

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「人工内耳・聴覚口話法・読話・補聴器・手話・シスコムどんな方法でもいい、一番大事なのはわかるということ」
このことが、今日の講義で一番心に残りました。もし私がSTになり、「どうしたらいいでしょう??」と言われた時、ことばを学習していく上で様々な方法があり、可能性があることを伝え、宇宙人にならないようにしたい。
今後さらに学んでいく上で、自分がどのような考えになるのか楽しみです。
ありがとうございました。

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宇宙人に征服された想定でのグループ討議は、若い人たちの考え方を聞く機会
になって参考になりました。
バイリンガルと言っても、日本語から英語なら、努力で解決も緩和もできるものだと思います。聴覚障害者にとっての口話は、努力しても、解決ができるものでないだけに、くやしいものだと思います。
今日の帰りに、指文字のあ行とか行に挑戦していました。

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今日の講義を受けて、自分達の文化も大切にしつつ、相手の文化も理解し大切にしようと思いました。その為にも、まず、自分の文化をしっかり知るという事が大切だと思いました。

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今日の講義の「文化的障害観」の話題にあった、「聴覚障害者なりの心理的社会的成長がある」というフレーズが印象的でした。
この文章を読んで、私自身、人間の発達は個人差があるとはいえ、おおむね聴者のような発達をするのだと、漠然とですが、認識していたと気付きました。
また、文化という視点で考えることについて、私が属する聴者の文化を、「文
化」として捉えた経験がありませんでした。
私自身を含めた大多数が所属している集団が、あまりに馴染みある存在であるため、「文化」であることに気付かなかったのだと思います。
私は、私が日本文化の中の、聴者の文化で暮らしていると認識することによっ
て、ろう者の文化も身近に感じられるようになりました。おそらく、自分の文化
に愛着と誇りを持っている人という点で親近感を覚えることができたのだと思い
ます。
私は、「私が何者なのか」を考えるにあたり、「文化」をこんなに身近に感じられるとは想像すらしたことがありませんでした。
貴重な気付きを得ることができました。どうもありがとうございました。

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本日もありがとうございました。 一言でいうのは難しいですが、文化およびコミュニケーション手段の多様性とその意義というものについて、考えるきっかけを与えていただいたと思います。前半の、テレパシー使いの宇宙人に占領されたらどうするか、云々についてですが、グループ全体の意見より、私は相当に不満を全面に出したことを言っていました。境遇を甘受して~等ということは、私には少々難しいようです。ろう文化や日本手話についてはいろいろな意見・批判があるようですが、私のような人間は特に、軽々なことはいえないとつくづく思いました。

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最近、他の授業で手話・口話法・聴覚口話法の違いを知りました。また、そこから自分なりに手話の世界というものを実感し考えるようにもなりました。
今日は宇宙人の話からはじまり、文化について知ることができました。“文化とは”と考えたときに文化の意味は理解することができましたが、ろう文化として考えたとき閉鎖的で少し差別的なイメージを抱いてしまいました。(今手元にレジュメが無い状態で書いているため、具体的な文章で伝えることができません。申し訳ありません。ただ、授業内ではそう感じてしまいました。)

手話は私も分からないし、勉強しようと思わないと覚えることが出来ないため、言語として考えた時に文化として括ってしまうことは仕方がないことかも知れません。
ただ、文化と聞くととても大きな括りに感じてしまい違和感を感じました。

先生は授業内で手話の弱点として“目を見ないと理解できない”ということをあげてましたが、私は手話を使うからこその強みだと思います。コミュニケーションをとるうえで相手の目見て話すということは基本的な事で大切な事だと思うからです。

結局手話が良いのか口話法が良いのか、正しい答えはないとは思いますが、区別するのではなく弱点をどう補えばより良く暮らせるかを考えていきたいなと思いました。

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講義で心に残ったのはやはり、宇宙人と人間の例え、言い換えれば健聴者と聴覚障害者を比喩したものであった。一番ショックだったのは、宇宙人が人間の文化を禁止している、言い換えれば健聴者が聴覚障害者の文化を抑圧しているという事を示唆する下りであった。もちろん高山先生はそのような含みを少しも明言していないが、現状の聴覚障害者の文化の認知度の低さから、少なからずそういう意図を感じざるを得なかった。

では宇宙人に脅かされた日本人の権利をどう守るのかという問いは、当に聴覚障害者の権利をどう守るのかに通じる部分があり、優れた解決策などないからこそ考える意義があるのだと思わされた。一人のSTとして業務をこなす以外に何ができそうなのか…わからないうちはまだ聴覚障害に見識が浅いのだと痛感した。

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講義、ありがとうございました。

今日、印象に残ったのは、レジュメの「病理的な視点」です。
文章は健聴者側の一方的な考えの押し付けなのでしょうね。先生がおっしゃっていた様に、ろう文化への理解が大切だと感じました。これから、もっと学んでいきたいと思います。

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今日はグループワークがとても面白かったです。宇宙人と地球人の例えで、自分達が弱者になった時に一体どうするのか。どうしてもテレパシー社会で生きていかなければならないとしたら、どうするか。どんなに音声言語を使うことが禁じられたとしても、必ず隠れて使うだろうと思いました。そして、地球人が住みやすい社会にしていくためにはやはり、一部の成功者たちが宇宙人と地球人の仲介役となる必要があると考えました。これがまさかろう者の文化と関係があるとは思いませんでした。私たちが隠れて音声言語を使うと仮定したように、ろう者がろう文化を築いてきたのだとわかりました。より具体的な仮説を立てて、その時自分達がどうするのかを考えることで、相手の立場に立つことができるのだと実感しました。ありがとうございました。

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今日の授業は宇宙人やテレパシーとかはじめはちょっとリアリティーがない感じがしていたのですが、みんなで話していたらろう者の方たちはこんな気持ちになっているのかな・・・・と少し感じることができました。
それぞれのモダリティーについての先生の話を聞いてイメージがわきました。

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今日の授業のディスカッションテーマはなかなか想像しにくいものでしたが、自分がその立場になったらと今さらながら深く考えました。正直、明確な答えとはいえないのですが、まずはお互いの理解が大切なのだと感じました。
本日はありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

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今回、もし宇宙人が来たらという話し合いをして、ろう者側からみた健聴者の社会や教育を知ることが出来ました。自分にとって大切な言葉や文化を強制的に変えなくてはならないのは辛いことだし、自分たちの生活やコミュニケーションは既に成り立っているのに、相手の社会に適応しないだけで障害者となってしまう理不尽さを感じました。
こうした様々な思いをろう者の人たちは感じ、考えてきたことを考えると、STとして訓練に関わるという、訓練という言葉自体が適切なのだろうかと思いました。
そして、このような問題に正解はなく、私たち個人がどう考えて、耳の聴こえにくいこどもたちや、ろう者の方々と向き合うかが大切だと思いました。
宇宙人が来た時という例えは、とても分かりやすく、今まで漠然としかなかったろう者側の立場を少しでも感じることが出来たように思いました。ありがとうございました。

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お世話になっております。
今日の宇宙人の話で、かなり自分の身に置き換えて捉えることができ有意義でした。
私自身は、自分が障害を持っているという自覚がないのに、自分の体に人工内耳という、
異色なものを植えつけられるのにはかなり抵抗があります。何も傷つけることなく、
私は私の持つ言語文化を守りたい。ただ、親がテレパシーだとしたら。。。親の持つ言語
に触れてみたいと思うかもしれません。
この間、NHK「ろうを生きる 難聴を生きる」 という番組を見ました。聴覚口話法が
浸透してきた時、ろう者の人々は、ろう者の文化がなくなってしまうことを非常に恐れたそうです。
「でもやっぱり手話はなくならない。。。聴者の皆さんもぜひ手話を覚えてください、すぐ身近に
私たちはいます」と解説の方は語られました。
その時に、この番組で、新宿にろう者の居酒屋さんがあることを教えてくれました。「ふさお」という
名前の居酒屋さんだそうで、店内は手話が飛び交って、聴者とろう者分け隔てなく、とても賑やか
だそうです。是非行ってみたいです!

NHK「ろうを生きる 難聴を生きる」

http://www.nhk.or.jp/fukushi/chokaku/index.html

今日から手話がんばります。

高山:ふさおですね。たまに行きますよ。講師と生徒が一緒にというと怒られそうですが、いずれ全講義が終わった後に皆さんで行きたいですね。

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エイリアンの課題、ユニークでとても良かったです。私はルーツを辿ると沖縄に行き着きます。先祖は歴史のなかで『エイリアン達』と対峙してきました。
古くは江戸時代の薩摩の侵略、明治の廃藩置県、大戦での米国統治…日本復帰だって有象無象の輩がアヤシげな言葉を囁きながら、日本(ヤマトゥ)流の価値観を強要してきた面は多分にある。
『チャンプルー文化』などと言う言葉があるが、先祖達はしなやかにしたたかに、様々な異文化を消化吸収していった。
現代に於いては、沖縄の町並みはぱっと見『日本の地方の一都市』といった風であるが、そこに生活をする人々は『個性』などという生温い言葉では表せきれないバイタリティが溢れている。
苦しみ悲しみを共有し、マイノリティの絆を強めてきたことがこれらの根底にあることは想像に難くない。
自分達には自分達の生きかたがあるんだという思いを旗印に!

高山:沖縄にルーツがあるあなたはきっと主観的にも客観的にも文化というものについて分析・評価することが出来るのだろうと思っています。いつまでも大切にしてください。かくいう私は鎌倉時代の武将がルーツになっているようです。維新でちょんまげを落としたときの気分はどうだったんでしょうね。

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今日の授業では、健聴者と、病理的視点から口話を半ば強制されていた時代のろう者との関係を、テレパシーを用いる宇宙人と、それに征服された人類との関係に置き換えてみることで、ハッとさせられました。

グループ内の「空気」に合わせて、思ったことをあえて言わないようにしましたが、自分だったらやはり、テレパシーを使える一握りの成功者に宇宙人との仲介役になってもらい、人類どうしの結婚の禁止(ろうの両親から健聴の子が生まれることがあるなら、テレパシーを使えない人類の両親からそれを使える子が生まれることもあるはずなので)と、音声言語や手話の禁止を、白紙に戻すよう頼んでもらいたいと思います。固有性・独自性といったものを無視して、何かを一律に強制しても、社会全体の生産性や活力が落ち、経済的損失も増えて、宇宙人の側も痛手を受けると思われるからです。

また、服部先生の小児聴覚障害の授業でも同じことを考えましたが、健聴者とろう者との関係について学ぶことで、日本と外国との関係のあり方を考える上でのヒントが得られるような気がしてきました。

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先日手話で書記日本語を学ぶ、ろう学校の子供達のビデオを観てから、頭が大混乱していました。
なぜ先に聴覚口話法による音声日本語をマスターさせないのか。手話が表現豊かな言語なのはわかりますが、できる人が少ないので手話でコミュニケーションできる人は限られているし、それ以外の人とは筆談になってしまうと。それを選択するのが本人でなく健聴の親である事も気になっていました。私が親ならどんなに苦労しても聴覚口話法で日本語をマスターさせたい。その後で手話を覚えたらいいのではないか。そこから頭が離れずに、混乱していました。今日先生の話を聴いて、自分の意見を押し付ける事は間違いであることに気付きました。
コミュニケーションの本質と重要なことを聴いて、言語的対等性があること、無理がないこと、ともに楽しめること、本人に合うやり方でやる、会話を楽しめることが大事と、とても納得しました。
先生が中間型手話と聴覚口話を一緒に使うのがとても疲れるというのもわかりました。

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各コミュニケーション方法によって、違いがあり状況によって使い分けたり、補足として互いに補って行き、強制ではなく自分に適した方法を選択して行く事が大切だと思いました。

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テレパシーを音声言語と例えて、人間が宇宙人に支配されるという仮定でみんなで話し合いましたが、それは大変だよねという意見は出ましたが、やはり難聴者の気持ちになることは難しいと感じました。補聴器や人工内耳は聴者からの音の押し付けなのかもしれないと思いました。
聴者と難聴者がお互いを理解し合うことが大切と言っていましたが、聴者側からのアプローチが今のままでは少ないように思います。

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今日は、シミュレーション授業ありがとうございました。
コミュニケーションがこんなにも大変で大事なものなのだと知りました。
以下に人権や文化に自分たちが疎くなっているのと気づかされました。

質問
高橋竹山さん(故人)という盲目の三味線奏者がいてそのおかげで津軽三味線が全国的に有名にした方がおります。この方は盲であるため旅芸人一座に加わり、カドツケ(旅先で芸を披露しながら食べ物をもらって歩く)をしながら旅をしていたという方であります。
日本のろう文化でこういう方はいらっしゃるのでしょうか。それとも、私たちが気づかないだけなのでしょうか。

高山:このような方はいたと思いますよ。ろう者の歴史学が専門ではないので、わからないのですが、美術などの芸術ではろう者が活躍していたのではと思うところもあります。日本画では大原省三さんが有名です。現代では、三代目三ッ井為吉さんという国宝級の陶芸家のろう者の方がいます。ギャロ-デット大学などでも客員教授として迎えられているようです。ホームページで検索すると出てきますよ。

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今日の授業でコミュニケーションがテレパシーになる想定でグループ協議をして思ったのは、想像しようにもなかなか想像がつかない世界だということでした。結局、少しわかったつもりでも全くわかっていなかったことに気が付きました。

それなのに、マジョリティがマイノリティの世界をコントロールする世界はどれほどかマイノリティにとって住みにくい世界だろうと思いました。
やはり、別の文化をもっと知った上で、その人達自身の社会を尊重していくことの大切さが少しだけかもしれませんがわかった気がしました。

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また時間を過ぎてしまい、申し訳ありません。
先週は、質問にお答えくださり、ありがとうございました。ぜひ機会がありましたら、アメリカの福祉政策などについても授業などでお話を伺えたら嬉しいです。

今日の授業は、テレパシーvs.音声言語・手話・日本語という内容でしたが、想像の世界なのに、考える程むかむかとしてきました。勝手にいろいろなことを決められてしまう腹立たしさ。
自分のやり方・生活を、想いのとおりに生きられない憤り。マイノリティだから大人しく従わなくてはいけない世界はありえない~!と叫びたい思いです。
でも、これと似たようなことを、音声言語を司る私たちは反対にやっている‥のですね。障害を持つ人の気持は同じ障害を持たなくてはわからない(同じ障害を持っていても、人同士、なかなかわかりあうことは難しいですが)。ましてや想像だけで同じような気持を体感したとは、軽々と言えません。ただ、障害がある・ないにかかわらず、マイノリティかどうかにかかわらず、相手の文化や存在そのものを尊重することの大切さ‥それは少し感じることができました。心に残る授業でした。ありがとうございました。

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今日の題材は昔みたSFの話に似ていておもしろかったです。ちなみにテレパシーと言語(通用しない人の為の)併用している世界でした。

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宇宙人の例題、おもしろかったです。聴覚障がいのある方の感覚への理解が、少し身近に感じられました。各々を大切にしながら共存ができたらといいと思います。
また、聴覚障がい児の教育方法について、様々な議論がなされていますが、私もどの方法がいい悪いでなく、それぞれの子どもにあった方法が選択されるという事は不可能なのだろうかと思っていました。教育会の流れが個別への配慮になっているのだから、聴覚障がい児とて同じことだとおもうのです。すべての方法が尊重される事を願います。先生の意見をうかがい、少しほっとしました。同時に、自分の意思で方法を選択するには幼い幼少児について、その子のもっている力を一番引き出せる方法をみつける目をSTは養っていかなくてはならないと感じました。

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今回の講義では、自身の最もコミュニケーションしやすいツールを利用できないもどかしさ、つらさを考えることができました。社会で人とコミュニケーションを取ることも大切ですが、聴覚障害者の方々が言語を獲得し、学んで行くことが最も大切だと思いました。そのためにどのような教育であれば良いのか難しい問題です。

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今回の授業では「テレパシー社会」を例にとり、テレパシー能力のない人々がどのような方策を採ればいいかなどをグループディスカッションしました。
聴者と聴覚障害者との類比を(暗に)意識しながら作業することができました。
テレパシー社会に合わせようと努力する一方で固有の日本人文化もまもる、という
2段構えの意見を出す人もあり印象深かったです。

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臨床福祉専門学校講義備忘録(2009年9月30日)


2009
10.05

臨床福祉専門学校「聴覚障害学演習I」受講生以外の関係のない方、興味のない方は、このページをスルーして頂いて結構です。申し訳ありません。

この頃、体調不調が続き、講義のまとめをアップロードするのが遅くなりました。申し訳ありません。次回の講義までに、復習して頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 今週の講義目標

コミュニケーション方法や手段は多様であり、それぞれに意義があることを知る。

文化とは何か?自身が持つ文化的価値観を振り返ってもらうことで文化について考えてもらう。

病理的視点と文化的視点について考える。

  • 宇宙人侵略の話

宇宙人が侵略し、宇宙人との戦争に負けたろう者も含めた我々人類は地球上で宇宙人と共存、共生せざるをえなくなります。そのような状況で、宇宙人による人類の適応教育、差別、管理などが実施されたらどう感じますか?ということで、ろう者が経験してきた歴史を宇宙人の話にたとえてディスカッションしてもらいました。人類はテレパシーを話す能力もなく、身体的に欠損しているわけですので、宇宙人と話すことが出来るように、テレパシー語を読めるように教育がなされていくわけです。その過程の中で、我々人類が持つ文化も破壊されていくこともあるわけです。ここで、考えて欲しかったことは単一民族国家である日本だからこそ、自身の日本人としての文化的価値観は日本人のろう者と変わりはないはずです。ただ、聴者としての文化とろう者としての文化には多少なりとも違いがあると言うことを体験的に気付いて欲しかったのです。また、多数論では、少数論を無意識的に排他しようとする傾向があることも事実だと言うことを自覚してください。なお、宇宙人の話はもともとは文化人類学者である亀井伸孝先生の「手話の世界を訪ねよう」の中での説明を参考に、高山なりにアレンジして使わせてもらったものでした。亀井先生の奥様はすてきなろう者の方です。奥様とは長いつきあいですが、ろう者でありながらも英検1級を初めて取得し、また現在はろう学校で英語を教えている方です。口話論者ではなく、立派にろう者としての生き方に誇りを持ち、日本手話をたくみに操る方です。旦那様も聴者ですが、日本手話を尊重し、学者としてアフリカのろう者の歴史について研究されています。

  • 文化・ろう文化

文化の中心となるのは基本的に言語であると考えてください。言語がなければ知識や信仰などの文明を伝えていくことも発展させていくこともかなわなかったはずです。言語の重みを考え直してみてください。ろう文化も手話がなければ発達しなかったでしょう。

  • デフコミュニティ

ろう文化が存在する場所・共同体のことをデフコミュニティと呼ぶことがあります。デフコミュニティのメンバーは必ずしもろう者のみとは限りません。聴者でもコーダを中心に、手話やろう文化に興味のある聴者もメンバーになりうるのです。誤解して欲しくないのですが、ろう文化はろう者だけのものではありません。デフコミュニティの構成要因として4つ「聴力的」「言語的」「社会的」「政治的」の要因があることを覚えておいてください。

  • コミュニケーションメディア

日本手話と言っても日本手話、日本語対応手話、中間型手話など様々にあります。シムコムという手話と声を一緒に出す手段もあります。シムコムというのはあくまでも2つの言語を同時に考えながら一緒に表現するということですので、日本手話の使用者が使い慣れない日本語を考えながら、日本手話も考えて、聴者のために声を出し、手話も出すということがあります。かなり疲れる作業だと思いませんか。聴者は彼らに「声を出して手話も使ってください」と言うことはあまりないと思います。私は日本語を先に獲得してから、成人後に手話を獲得したため日本語を使って話すことは苦になりませんが、日本語と手話を同時に考えるのは疲れるものです。声だけなら声。手話だけなら手話という方法の方がストレスは少ないと感じています。それぞれのコミュニケーションの方法の限界などを分かった上でお互いに気持ちの良いコミュニケーション、「聞こえる」ことを前提としたコミュニケーションではなく「わかりあえる」コミュニケーションを第一に心掛けて欲しいと思っています。

また今週の水曜日にお会いできることを楽しみにしています。

高山亨太